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最近、日露和親条約が結ばれたのが、1854年ではなく1855年とかわっているのはなぜですか。

 日露和親条約が結ばれたのは、安政元年12月21日です。歴史学では慣例として、安政元年を1854年として表記してきました。しかし、安政元年12月21日を厳密に西暦に換算すると1855年2月7日になります。2013年に文部科学省が策定した「教科書改革実行プラン」に基づき、「教科用図書検定調査審議会」が了承した教科書記述の検定基準の改正案では「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」となりました。こうしたことからも、弊社では、条約の日付や名称は外務省の表記に統一するようにしております。外務省では、条約の調印は、相手国との共通の日付の確認が重要であるため、外交の基準である西暦の表記で統一しています。また、条約名も、日魯通好条約(日露和親条約)と表記しています。そのため、この表記に統一しています。ただし、「魯」の文字は、義務教育においては基本的に使用しませんので、「露」の文字を使用して、日露通好条約と表記しています。同様に、1895年の下関条約も、外務省では、日清講和条約という表記が優先して使われていることから、こちらも日清講和条約(下関条約)と表記しています。