よくある質問
教科書
弊社では学校様に対する直接の教科書販売は承っておりません。 お手数ですが、教材注文をご担当の事務の方にもご確認の上、学校にお出入りの書店経由でご注文いただきますようお願い申し上げます。
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教科書や資料集、書籍等の紙面やデジタル教材には多くの著作権者が関わっております。著作権法で認められている場合を除き、利用には許諾が必要です。
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利用条件につきましては、 SARTRASのwebサイト をご覧ください。
参考: 改正著作権法第35条運用指針(令和3(2021)年度版)
教育委員会等が教科書等を利用して教材の作成、その配布又は公衆送信を行う場合は、著作権法第35条の範囲外となるため、著作権者の許諾が必要となります。
そのため、以下へ事前に申請いただきますようお願いいたします。
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社会資料集・ワーク
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指導書・資料集Webサポート
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【旧課程(令和3年度以前)向け指導書の場合】
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【新課程(令和4年度以降)向け指導書の場合】
指導資料付録のデジタルコンテンツは、毎年新しいデータをご提供すべきとの観点から、原則としてDVD-Rではなく、Webサポートのみのご用意となっております。指導書セットの『Webサポート紹介冊子』に記載のアクセスキーをご確認の上、ご利用ください。
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また公衆送信の場合は、教育機関の設置者(自治体または学校法人)が SARTRAS(授業目的公衆送信補償金等管理協会) に申請いただくことで、著作権法第35条のもと、適切な利用条件の範囲で、ご利用いただけます。 一般の方は、著作権法上認められた利用を除き、許諾が必要となります。 弊社ウェブサイトの著作権利用申請ページの「2.教材や一般商品の場合」の申請書にご記入いただき、弊社へ事前に申請いただきますようお願いいたします。
地図・地理
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外務省ホームページ「国・地域」によると、日本政府が承認している国家は195か国であり、これに日本を加えた196か国が、日本政府が公式に用いる世界の国の数です。さらに、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は日本政府が国家承認していませんが、国際連合加盟国であることなどもふまえ、検定教科書では世界の国の数に含められています。よって、世界の国は2022年4月現在、合計197か国となります。地図帳・教科書でも、同じく197か国を世界の国の数としています。
「標高」とは、基準面から測定したある地点までの垂直距離のことです。日本では東京湾の平均海面を基準面とした高さを標高としています。実際の測定には、東京の永田町にある憲政記念館構内に設けられた日本水準原点の高度を24.3900mとして、これを用いて高さを求めています。一方「海抜」は、近くの海の平均海面からの高さを意味します。そのため、標高と海抜は正確には若干異なりますが、今では同じものとして使われています。 一般に山や都市の高さは、東京湾の平均海面を基準として測定されるため、「標高」になりますが、一部の離島では周辺の海面からの高さを参考にしているため、これらの地域での高さは厳密には「海抜」になります。しかし、前述の通り両者は同じものとして使われているので、どちらを使用しても間違いではありません。 なお、日本水準原点は、1923年までは24.5000mとされてきましたが、関東大震災による地盤沈下で24.4140mになり、長らくその数値が使用されてきました。ところが、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって24mm沈下し、新しく24.3900mと改められた経緯があります。
紀元150年頃にプトレマイオスが世界地図上の位置を決定するため、適当な間隔ではなく地球の円周を360度に等分した経緯線を決めたことが起源と言われています。彼はこの経緯線網を平面に投影する、「投影法」(単円錐図法)を初めて考案し、経度0度から東経180度、南緯20度から北緯70度までの半球図を作成しました。これが近代地図の基礎となったと言われています。 1度=60分である60進法の成立は、『地図を作った人びと』(ウィルフォードほか著、河出書房新社、2001年)によると、約5000年前のバビロニア人にまでさかのぼり、彼らが、「円を360度」、「1年は360日」と定義したことに由来しているとしています。また、彼らは月と太陽の動きから60進法を考え出し、すべての計算の基礎としていたようで、これが古代ギリシャの学問に受け継がれ、地図の考えの中に確立していったものと述べられています。
東経と西経を分けた理由について、正確なところは分かっていません。ただし、一般的に次のようなことがいわれています。 かつてはそれぞれの国が緯度・経度について独自の表現方法をとっていました。しかし、国際交流がさかんになると、各国の表現がバラバラであることが大変不便になってきたため、どれかの方法に合わせることになりました(1884年「国際子午線会議」)。当時はイギリスが強大な力をもっていたため、イギリスが提唱した「イギリスのグリニッジを通る経線を『本初子午線』とする」ことに各国が同意し、イギリスが採用していた方法に統一することになったといわれています。イギリスが採用していた方法とは、本初子午線を境に東へ180°、西へ180°に分ける方法、つまり「東経」と「西経」でした。このように決められたのは、数が多いより少ない方が使いやすく、東と西をつけることで方向が分かるので便利であることによるといわれています。 ちなみに、フランスでは、17世紀末からパリ天文台を通過する子午線(パリ子午線)を本初子午線とする経度(パリ経度)が用いられており、国際子午線会議でもパリ子午線を国際的な本初子午線とするよう主張しました。結局イギリスの主張が採択されましたが、フランス国内では20世紀初頭までパリ子午線を基準とする経度が用いられました。現在でも、フランスの一部の地図ではパリ経度が採用されているようです。 いずれにせよ、当時の世界を制していたイギリスが、自らの国を中心に世界の位置づけを決めていた象徴的な遺産といえます。
これらの区別には明確な基準はありませんが、「諸島」は2つ以上の島の集団、「列島」は多くの島が列をなして連なっているもの、「群島」はまとまりをもって群がっている島々、とそれぞれの言葉の意味に即して名前が付けられているようです。日本の島名は国土地理院と海上保安庁の海洋情報部(2002年までは水路部)が協議して決定していますが、長年使われてきた慣用によるものが多いようです。ただし、このように明確な基準がないため、名称の変更も起こります。例えば、平成20年の国土地理院の発表で、北方領土の「歯舞諸島」は「歯舞群島」に変更になり、地図帳・教科書でもこれに合わせ表記を変更しています。 外国の島名については、かつて文部省が作成した『学術用語集 地理学編』では、英語で諸島は「Islands」、群島は「Archipelago」と定義づけされています。しかしながら、日本語での呼び名はこの欧文表記に合致しないこともあり、弊社の場合、内外のさまざまな地図や資料、文献などの調査に加え、地域の専門家のご意見もふまえ、呼び方を定めています。例えば、インドネシアのスマトラ島からスラウェシ島に至る島々は、イギリスの地図帳『TIMES ATLAS』で「Greater Sunda Islands」と表記されています。しかし、列状に連なる島々ですので、地図帳では「大スンダ諸島」ではなく「大スンダ列島」と表記しています。このように、英語表記のみにとらわれず、これまでの慣用と地形的特色から諸資料をもとに日本語表記を決めています。 『TIMES ATLAS』の島の表現には、「Islands」「Archipelago」双方を使用していて、固有名詞のみで表記している場合もあります。最近は現地の呼び名をアルファベットで表すようになり、例えば、日本の南西諸島は「Nansei Shoto(Ryukyu Islands)」と表記されています。
「平野」とはその名の通り、山地などに対して広く平らな地形のことで、地形学上の学術用語です。平野には、長い間の侵食や風化作用により地表が平坦になったものと、河川や海水の堆積作用により形成されたものとがあり、日本にある平野は後者となります。平野を細かく見ていくと様々な種類があり、扇状地・三角州・台地なども平野に含まれます。 「平地」とは正式な学術用語ではなく、単に平坦な地表面をもつ地形のことを指すときに用いられることが多いようです。つまり、平野や台地、盆地など、周囲と比較して相対的に比高(高低差)の少ない地形が平地に分類されるといえます。 一方「低地」とは、周辺部に対して相対的に高度の低い土地を指します。例えば、東京都東部の低地(いわゆるゼロメートル地帯周辺)は、西部の武蔵野や東部の下総台地よりも相対的に高度が低い土地なので、低地ということが多いようです。しかし、平地と同じく厳密な定義があるわけではなく、盆地を含めた高度200m以下の土地を表す場合、河川沿いの大規模な低い土地を表す場合、平地や台地に対する用語として用いられる場合など、文脈によって意味合いが変わることもあります。 このように、地形用語は似通った語が多く、また形成要因などもそれぞれ複雑です。
海洋法に関する国際連合条約によると「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう」と規定されています。一方の大陸は明確な定義はなく、慣例でオーストラリアより大きな陸地を「大陸」と呼んでいます。メルカトル図法などで描かれた地図を見ると、「大陸」であるオーストラリアよりも、世界最大の「島」であるグリーンランドの方が大きくみえますが、実際のオーストラリア大陸はグリーンランドの約3.5倍の面積があります。つまり、オーストラリアまでの大きさの陸地を「大陸」、それよりも小さな陸地を「島」として取り扱う、ということです。
海か湖か、その名前からは区別がつきにくい場合があります。例えば、カスピ海やアラル海は「海」という名前がついていても、陸によって海とさえぎられているため、地形的には「湖」として扱われています。これらの湖は、海のように広く(カスピ海の面積は37.4万㎢で、日本の国土面積37.8㎢に匹敵します)、そのうえ湖水の塩分濃度が高いので「海」という名前がつけられたというのが通説です。 海と湖の区別は、それが海とつながっているか、陸によって切り離されているかで決まります。海から完全に切り離されている場合は、海のように面積が広く塩分濃度が高くても「湖」になります。さらに、それが川や水道のように小さな水路で海とつながっている場合でも、両者の間で水の交流が少なく、両者の水質にかなりの違いがみられるときには、これも「湖」とされます。たとえば「黒海」は、形は湖のようですが、ボスポラス海峡を通じて地中海とつながっていて、両者の水質もほとんど違いがないので、「海」と考えられています。一方、島根県の「中海」は、砂州の切れ目を通じて海とつながっていますが、この切れ目は細いうえ、中海の水はほぼ淡水に近いため、「湖」として扱われます。 また、「海」と「湖」は、地形的な区分ではなく、法的な根拠で区分される場合もあります。カスピ海は1998年に国際海洋法条約(カスピ海の法的地位に関する条約)で「海」として認定され、沿岸国は12海里の設定や排他的経済水域の権利を得ることになりました。「湖」と認定された場合には、湖底の石油資源は沿岸国の共有資源として扱われることになるため、石油資源をめぐる沿岸国の争いが生じる可能性もありました。
領空の高さを知るためには、宇宙空間との関係をふまえる必要があります。1967年に発効した「宇宙条約」では、宇宙空間の領有が禁止されています。よって、地表(領海上は水面)から宇宙空間に至るまでの空間が領空となります。 では、宇宙空間はどこから始まるのでしょうか。実は、宇宙空間を定義することは領空の上限を定義することになるため、各国の利害関係から明文化された国際条約は存在しません。一般的には「地球の大気圏の外側が宇宙空間」とされますが、どこまでを大気圏とするかもとらえ方によって異なります。そのため、1950年代に宇宙開発が始まったときに国際航空連盟という民間団体が、地上から100kmを宇宙空間と大気圏の境界線と定義しました。 これはロケットや人工衛星が地球大気圏を脱出するための軌道速度(宇宙速度)を計算する際に、高度100kmが基準として用いられたとのことです。この境界線は「カーマンライン」とよばれ、現在に至るまで大気圏と宇宙空間との境界線の定義として、様々な分野で活用されています。 結論として、領空の高さについても「カーマンライン」が慣習的に用いられ、領土・領海の上空で宇宙空間に至るまでの大気圏、つまり高度100kmまでの空間が領空であるとされています。
沖ノ鳥島の北にある飛び地の公海上では、外国船が漁業を行うことができます。「国連海洋法条約」によると、公海上では生物資源保存に関する協力義務を負ったうえで漁獲の自由が認められており、「四国海盆海域」とよばれるこの海域で、外国船が漁業を行うことができます。外国船がこの海域に行くためには、日本の排他的経済水域を通過しなければなりませんが、「国連海洋法条約」によると、排他的経済水域において認められる沿岸国の主権的権利を侵害しない限り、外国船は排他的経済水域を自由に航行できます。そのため、沖大東島と沖ノ鳥島の聞の日本の排他的経済水域内や、国際海峡である大隅海峡などを通過して飛び地の公海上に行き、漁業を行っている外国船もあるようです。
プレートテクトニクスでは、地球の表層は厚さl00㎞程度の岩石でできた複数のプレートでおおわれていると説明されます。そして、それらのプレートの境界は、各プレートの動く向きによって、狭まる境界、広がる境界、ずれる境界の3種類に分類されます。いずれの境界付近でも、プレートの運動によって、激しい地殻変動や火山活動がみられ、大山脈や海溝、海嶺などの大地形がつくられます。プレート境界沿いに分布するこのような帯状域を変動帯とよびます。このように、「変動帯」はプレートテクトニクスに立脚する諸現象を理解するうえで重要な用語です。 一方で、プレートの運動などに伴って、大山脈や弧状列島などができる運動を造山運動とよび、造山運動が生じている地帯や過去に生じた地帯を造山帯とよびます。造山帯には、中生代以降の造山運動によって形成された新期造山帯と古生代に造山運動が活発であった古期造山帯があります。造山帯の分布は、変動帯のうちの狭まる境界の分布とおおむね一致しています。このように、「造山帯」は地質学に立脚しつつ、地形をとらえるうえで重要な用語です。また、地形と地質には一定の関連があることから、埋蔵物である鉱産資源の分布を理解するうえでも「造山帯」は有用です。
1960年代のプレートテクトニクス登場後も、弊社の教科書・教材では、大地形について、造山帯の用語を残したうえで、変動帯と造山帯の両方の用語を用いて解説しています。これには次のような背景があります。 プレートテクトニクスが登場し、変動帯という用語も現れましたが、それよりもずっと以前に、学校現場・研究現場では、地向斜理論にもとづく造山運動や造山帯という用語が定着していました。プレートテクトニクスの登場後は、この理論に合わせて、すでに定着していた造山運動や造山帯という用語の“意味”(役割)を見直すことが(おもに地質学分野の研究者によって)なされてきました。しかしながら、もともと異なる見方・考え方をもとにした用語であるため、変動帯と造山帯の区別が明確でないという問題も生じました。 このような課題を解決するため、弊社では40年以上前、造山帯という用語を用いず、地形の起伏を唯一の指標として大地形を整理した教科書を発行したことがあります。しかし、地形の成因についての説明が不十分であったことなどから、当時は多くの先生方の理解が得られず、こうした整理の仕方は定着しませんでした。 変動帯と造山帯の用語の調整をはかる一方で、ヨーロッパやアメリカ合衆国の地理教科書の動向についても並行して調査を進めてきました。調査の結果、 現在でもストレーラーの『PhysicalGeography』など、欧米の大学レベルの「地形学」の教科書の多くでは、プレートテクトニクスにもとづきつつ「造山運動(orogeny)」や「造山帯(orogenicbelt)」という用語を使って大地形を解説していることが明らかになりました。これは、欧米の地理教科書でも大地形を地質と関連させながら学習する構成になっているためです。 変動帯はプレートテクトニクスを理解するために重要であり、造山帯は地形の形成過程や地質の分布、鉱産資源の分布を理解するために有用です。それぞれの用語の有用性に加えて、歴史的経緯や外国の地理教科書の動向などを考慮し、用語の扱いについて慎重に議論を重ねてきました。その議論をふまえ、弊社の教科書・教材では、大地形の学習について、変動帯で説明されるプレートテクトニクスを前提に構成しながら、造山運動や造山帯の用語や考えも生かした構成・記述を採用しています。
石油の埋蔵量は新期造山帯に多く、とくに新生代の比較的若い地層中におよそ6割が埋蔵されているというのが、現在の一般的な見解であり、多くの自然科学研究者に支持されている『The Dynamic Earth: An Introduction to Physical Geology』(by Brian J. Skinner,Stephen C.Porter,Jefferey Park Paperback,p.648)にもこのことが示されています。石油や天然ガスなどの流体は一か所にとどまりにくいため、新しく形成された背斜にとどまる確率が高くなります。この背斜が新期造山帯に多いため、石油は新期造山帯で多く産出されます。例えば、新期造山帯に位置するイランやインドネシアはいずれも世界有数の産油国です。また、ベネズエラのマラカイボ湖周辺も世界有数の油田地帯ですが、プレート境界にとりかこまれており、この一帯も新期造山帯に属する地域であるといえます。 一方で、ロシアのチュメニ油田やその周辺のように、地層の変形や侵食が進まない安定した地域では、石油が古い岩体内にとどまる場合があります。また、近年になって開発が行われるようになったシェールオイルやシェールガスのように、流体の自由度が低い状態で古いシェール(頁岩)中にとどまっている石油や天然ガスも存在します。このように新期造山帯は石油が採掘される代表的な場所ではありますが、唯一の場所ではないことには留意を要します。 また、古生代の地層には、この時期に繁栄したシダ植物の森林の遺骸が炭化して形成された石炭層がみられます。古期造山帯では、長年にわたり侵食を受けた結果この石炭層が露出している場所が多いため、露天掘りの炭鉱が多いのです。 弊社の教科書・教材では、より信頼性の高い見解や事実にもとづきながら、体系的な学習ができるよう考慮し、造山帯の分布とその地域の代表的な鉱産資源を関連させて解説しています。石油や石炭の生成要件や埋蔵場所などは現在の研究でも明らかになっていないこともあるため、今後も最新の研究動向を注視して、より適切でわかりやすい構成・記述を追究して参ります。
以前は地質年代を定める場合、化石を通して区分する「更新世」「完新世」と、堆積物を基礎として区分する「洪積世」「沖積世」とが用いられ、ほぼ同一の時代を指すように使われていました。しかし1948年の国際地質学会で、化石によって地質年代を定めるのが最も適当と規定されました。日本では「洪積世」「沖積世」が定着していましたが、地質学者の間では徐々に国際的な規定に合わせる動きが主流となり、今日では「更新世」「完新世」を用いるようになりました。 こうした動きを受けて、弊社の地図帳や教科書でも、地質年代については平成初期から「更新世」「完新世」などの用語に切りかえるようになりました。しかし地形の用語としては「洪積台地」「沖積平野」という用語が残っており「洪積台地ができたのは更新世」といった記述が混乱を招くとのご意見をいただくようにもなりました。そこで、当時の教科書執筆担当の先生に改めて相談したところ「洪積世」という時代区分が用いられることのなくなった現在においては「洪積台地」は地形学でも使用されなくなっているので、教科書でも「台地」と表記すべきであるとの意見をいただきました。「洪積(diluvial)」とは、本来は「ノアの洪水による」という意味であり、これらの地層がノアの洪水伝説のような天変地異でつくられたという解釈による用語のため、現在はほとんど使用されていません。そのため、地形学の分野でも「洪積台地」の用語は用いられなくなり「最終間氷期とそれ以降に形成された段丘」のことを、単に「台地」とよぶようになりました。以上のような経緯から「洪積台地」の用語を「台地」に変更しました。
「リアス(rias)」とは、スペイン語で入り江を意味する「リア(ria)」の複数形です。スペイン北西部のガリシア地方には入り江が多く見られ、「リアスバハス海岸」とよばれています。この「リアス」を由来として、山地や丘陵の谷に海水が浸入してできた入り江が顕著に連なってみられる海岸地形のことを、「rias coast」(英語)というようになりました。この和訳として「リアス式海岸」という表記が昭和30年代以降使用され、定着してきました。しかし、「リアス」そのものが入り江の地形を表す語であるので、あえて「式」を入れる必要はなく、地理学・地形学の学術用語としては「リアス海岸」という表記がより適切であるとされるようになりました。 地図帳・教科書でも、長らく「リアス式海岸」と表記していましたが、こうした近年の学界等の動向をふまえ、平成20年度用のものから「リアス海岸」に表記を変更しました。
ケッペンの気候区分では大陸の東海岸は「多雨」となっています。しかしながら、ソマリアを含む東アフリカ一帯は乾燥しています。ケッペンの気候区分では、気温と降水量に注目して区分しているため、このような説明できない地域がいくつも存在しています。これを解明しようとしたのが、アメリカ合衆国の気候学者のトレワーサ(トレワルサ)です。トレワーサは、ケッペンの気候区分で問題になる箇所をさまざまな研究者の説を借りて説明しています。端的に解説すると一般に雨が少ない原因には、 [1]大気中の水蒸気量が少ないこと [2]下降気流が卓越すること が考えられます。一般的に考えれば、熱帯では、北東貿易風と南東貿易風が吹いているため、ソマリアを含む東アフリカでも常に、インド洋から大陸に向かって水蒸気が運ばれるはずですが、乾燥気候となっています。その理由として、トレワーサは、以下のように説明しています。
①北半球の冬に、東アフリカで卓越するのは北東気流。この風は、インド洋上を吹いてくるというよりは、乾燥したアラビア半島上を吹いてくるもので、ソマリア、エチオピア、ケニア東部にまで入り込んでくる。その風は、水蒸気をあまり含んでいない。それ故に雨を降らせない(原因の[1]にあたる)。 ②北半球の夏には、南インド洋からの南東貿易風がケニアの海岸に吹き付ける。その一部はそのまま南東気流として内陸に入って行くが、一部はアフリカ東岸で転向して南西モンスーンになってインド洋に向かう。言い換えると風下に向かって風が末広がりになり(発散し)、気流の厚さが薄くなり、下降気流となる(原因の[2]にあたる)。 ③ソマリア沖の海流は、この地域の季節風と同じく、北半球の冬には北から南へ、夏には南から北へ流れる。夏には,ソマリアの海岸で湧昇流が発生し、深海から冷たい水が湧き上がってくるために海水面が低温となり、上昇気流が発達しにくい(原因の[2]にあたる)。
この説明で完全に解明されたわけではありませんが、この後の新しい研究成果は出ていません。
気候区を厳密に判定するためには、年降水量だけでなく気温や年間における降水の変化の特性などにも着目して計算する必要があります。 確かに、平凡社版『気象の事典』p.282には、「年降水量は250~500mmくらい」、東京堂出版『気象の事典』p.247には「年降水量は250~500mm」などと記載されており、「500mm」を目安にしている事典が複数ございます。 一方、気候区を厳密に判定するためには、年降水量だけでなく気温や年間における降水の変化の特性などにも着目して計算する必要があります。多くの場合、BS気候区は500mmの降水量ラインと一致するとされますが、ところにより年降水量が300~600mmから700~800mmと幅があり、500mmを超える場合でもBS気候区が見られることがあります。 こうした経緯から弊社の教科書・教材では、主要な地域が含められるよう、「250~750mm」と降水量の幅を広めに表記しております。
緯度帯を意識した用語である「赤道低圧帯」「中緯度高圧帯」を用いて大気大循環を説明すると、低緯度から極まで南北対称に現われる低圧部および高圧部を、緯度帯と連動して学習しやすいと考えます。また、緯度帯を意識した学習内容の整理の仕方は、地球表層の環境について取り扱う『地理』の学問的傾向とも、合致しています。 しかしながら、大気科学(気象学・気候学)における重要な概念の一つであります大気大循環は、気候について重点的に扱う『地理』と、気象について重点的に扱う『地学』とで共通する内容であり、現在では『地学』の気象学的な捉え方を取り入れた用語の方が一般的になってきています。つまり、大気大循環は、大気の動的メカニズムを取り扱う気象学的な循環システムですので、弊社の教科書・教材でも、「熱帯収束帯」「亜熱帯高圧帯」の用語の方をメインの用語として取り扱い、気候学的なアプローチの同義用語である「赤道低圧帯」「中緯度高圧帯」の用語の方を、()内で表記しています。
この違いは、「耕地(あるいは農地)」の内容の違いによって生じています。弊社の教科書・教材では、「耕地面積」を授業でどのように利用するかを考慮したうえで、牧場や牧草地を含まない「耕地面積」の数値を使用しています。 例えば、「農民一人あたりの耕地面積」は、授業では、企業的穀物・畑作農業の学習の際に、各国の耕地の広さを比較することに利用されることが多いため、牧場や牧草地を含まない数値の方が利便性の高い資料になります。また、「耕地1haあたりの農業産出額」は、狭い耕地で肥料などを大量に投下して高収量をあげる日本の集約的農業の特徴を、ほかの国と数値で比較する際に利用されることが多いため、こちらも牧場や牧草地を含まない数値の方が利便性は高くなります。 このような事情から、牧畜のさかんな国など、牧場や牧草地の面積が広い国の「農民一人あたりの耕地面積」の数値は、弊社の教材と他社の教材とで大きな違いが生じる場合があります。
アメリカ合衆国の『2010年国勢調査』の解説を簡単にまとめますと、ヒスパニックとは「ラテンアメリカ出身のスペイン語を話す人々」です。国勢調査では、ヒスパニックは民族として分類されており、「ヨーロッパ系」「アフリカ系」「ネイティブアメリカン」など人種に関する調査項目とは別に、「ヒスパニック/ラテンアメリカ系か」を尋ねる調査項目が設けられています。つまり、ヒスパニックは人種ではないため、ヨーロッパ系のヒスパニックもいれば、アフリカ系のヒスパニックもいるわけです。国勢調査は自己申告によるものですので、ヒスパニックであるかどうかは、個人の判断によるところも多いようです。
「穀物」という語句は、狭義ではイネ科植物の種子のみを示し、大豆などの作物を含みません。そのため、「企業的穀物農業」と表記した場合には、該当する地域が狭義の穀物(イネ科植物の種子)のみを生産する地域であるという誤解を招くおそれがありました。このような誤解を避けるために「企業的穀物・畑作農業」と表記しています。
森林や草原を焼きはらい、その灰を肥料として作物を栽培する農業を「焼畑農業」といいます。その「焼畑」を、「やきばた」と読む場合と「やきはた」と読む場合があります。これは、地理学の学術用語としては「やきばた」という読み方が定着していたためであるほか、文部省(当時)発行『学術用語集 地理学編』でも「yakibata」となっていたことなどをふまえています。 しかしながら、「やきはた」と記載する国語辞典も多くあり、弊社の教科書・教材でも近年は「やきはた」と表記しています。
インドの人口のおよそ80%はヒンドゥー教を、残りの20%はキリスト教や仏教、イスラームなどを信仰しています。 ヒンドゥー教では、牛は破壊神シヴァの乗り物であるとされており、神聖な動物として崇拝されています。そのため、牛を殺すことも食べることも禁忌となっています。しかし、ヒンドゥー教で神聖視されているのは、南アジアを中心に分布する乳白色の瘤牛のみであり、真っ黒な水牛はその限りではありません。インドでは、多くの水牛が飼育されており、そのミルクは飲用にされるほか、乳製品に加工されるなどして利用されます。乳牛としての役目を終えた後は食肉とされることが多く、輸出されることも多いようです。近年の統計では、インドから輸出される牛肉の7割以上が水牛の肉です。インドの牛肉輸出量が多い背景にはこのような事情があります。 また、インドではヒンドゥー教徒以外の人口も2億以上にのぼります。ムスリムやキリスト教徒、シーク教徒は牛肉を食べますので、水牛以外の牛肉の生産も少なくはありません。
「工業地帯」「工業地域」とは、いずれの名称についても工業の集積が著しいところのことを指します。しかし、その名称について公式に定められたものはなく、両者の使い分けに厳密な基準もありません。工業地域とは工場の分布の多いところ、工業地帯とは工業地域の中でも広範囲にわたって多くの工場が分布し、かつ各種の業種が総合的に発達して相互に関連性がある地域ととらえられます。
一般的に「工業地帯」は、戦前から昭和30年代の高度経済成長期までに形成された、京浜・阪神・中京・北九州についてのみ用いることが慣例となっており、かつてはこれらを「四大工業地帯」と称してきました。高度経済成長期以降に形成された工業地については「工業地域」の呼称が付けられ、“瀬戸内工業地域”のようによびならわされています。
近年、一般の書籍や統計書においては、工業出荷額が低下してきた北九州を除く三つを「三大工業地帯」とするとらえ方も広まりつつあります。しかしながら、教科書では現時点において、歴史的な経緯も学習に含めたときに北九州工業地帯は今もなお重要である点、近年の自動車工業や電子機械工業の急速な集積から注目を集めている点等を重視し、北九州も含めて四つの工業地帯というとらえ方をしております(ただし、「四大工業地帯」という用語は誤解を招きやすいため、掲載していません)。
東京湾をとりまく工業地域は、第二次世界大戦前までは東京都区部から横浜にかけての地域に限られており、「京浜工業地帯」という名称もそこから付けられました。「京浜工業地帯」は1960年代の高度経済成長期にめざましく拡大し、上記の地域を核として、東京湾沿いは千葉県の君津市や神奈川県の横須賀市付近まで、内陸部は埼玉県の川口市・大宮市(当時)付近まで広がりました。工業の特色としては、東京都中心部では印刷・出版をはじめ、雑貨・衣類・機械など様々な業種の中小工場が多く分布しているのに対し、市原市・君津市や川崎市・横浜市などの沿岸部では石油化学工業をはじめとする重化学工業が、内陸部では機械工業が発達するなど、地域によって異なります。 現在、「工業地帯」の範囲を示す明確な基準はありませんが、弊社の教科書・教材では、これまで工業地域の一体的な連続性を重要視し、「東京+神奈川+埼玉+千葉」を京浜工業地帯として扱ってまいりました。しかしながら、令和3年度版の教科書・教材からは、「日本国勢図会」等に合わせて、教科書や資料集の間で齟齬がないよう、「東京+神奈川+埼玉」を京浜工業地帯、「千葉」を京葉工業地域として扱っています。 なお、地図帳・教科書で用いている工業地帯・工業地域のわけ方は下記の通りとなります。
京浜工業地帯=東京都+神奈川県+埼玉県 阪神工業地帯=大阪府+兵庫県 中京工業地帯=愛知県+三重県 北九州工業地帯=福岡県 瀬戸内工業地域=山口県+広島県+岡山県+愛媛県+香川県 東海工業地域=静岡県 北陸工業地域=新潟県+富山県+石川県+福井県 京葉工業地域=千葉県 北関東工業地域=茨城県+栃木県+群馬県
「IT(Information Technology)」とは「情報技術」のことで、情報処理に関する技術の総称です。明確な定義があるわけではありませんが、おもにコンピュータに関係する技術に関して多用される語となっています。1980年代以降コンピュータの普及が進み、日常生活・業務を問わず電子機器がさまざまな場面で活用されるようになりました。1990年代後半以降は、携帯電話の普及も進み、電子機器が社会や生活のあり方に劇的な変化をもたらし、欠かすことのできないものとなりました。「IT」という語が使われ始めたのはこのころかと考えられます。 一方、同時にインターネットなどの通信網も整備が進み、多くの人がパソコンや携帯電話などでインターネットを活用しています。今日の社会は「高度情報社会」とよばれるほど、情報通信網が世界規模で発展し、現在の情報技術は通信技術と切り離すことができないほど密接に結びついています。そのため、近年では情報技術と通信技術を合わせて「情報通信技術」つまり「ICT(Information and Communication Technology)」という語を用いるようにもなっています。しかし、両者は通信技術が含まれていることを強調するかどうかの違いであって、電子機器に関わる技術であるという意味においては、大きな違いはないようです。国の機関でも、総務省では「ICT」、経済産業省では「IT」の語を用いることが多いようですが、意味合いとしては両者とも同じようです。
機械工業にはいくつかの種類がありますが、教科書では次のように分類しています。 まず「電気機械工業」とは、冷蔵庫や洗濯機などの家電製品(電気機械器具)、コンピュータや携帯電話(情報通信機械器具)、集積回路(IC)や半導体素子(電子部品・デバイス)などを製造する工業のことを指しています。一方、「精密機械工業」とは、時計やカメラなど微細な部品で構成された精巧な機械を製造する工業のことを指しています。このほかにも、事務機器などを製造する「一般機械工業」、自動車・鉄道車両などを製造する「輸送機械工業」もあります。 この分類は、経済産業省『工業統計表』の「工業統計調査用産業・品目分類」に基づいていますが、2008年にこの品目分類の改訂が行われました。改訂後には「精密機械」に属していた品目が、ほかの機械品目の中に分割移動することになりました。例えば、同じカメラでも、フィルムカメラは「業務用機械器具」に、デジタルカメラは「情報通信機械器具」となりました。このように精密機械工業という分類は、『工業統計表』上からは消滅してしまいましたが、教科書では諏訪盆地の工業を事例に「精密機械工業」について述べています。この地域の学習をする際には、歴史的な経緯もふまえてこの語にふれることが適切であると考えています。 一方、教科書には「先端技術産業」という語も登場し、「ハイテク産業」ともいうこともあります。これに明確な定義はありませんが、高度な知識と先端的な技術により、新しい産業界の担い手となるべく期待されている産業の総称です。教科書では、コンピュータ関連産業、航空宇宙産業、バイオテクノロジーを事例として本文で取り上げていますが、このほかにも、ファインセラミックスなどの新素材開発なども、先端技術産業に含まれることが多いようです。
弊社の教科書・教材では、農林水産省の表記に準じて掛け算を用いています。出典元の農林水産省ホームページによると、6次産業の6とは、「農林漁業本来の1次産業だけでなく、2次産業(工業・製造業)・3次産業(販売業・サービス業)を取り込むことから、1次産業の1×2次産業の2×3次産業の3のかけ算の6を意味している」とあります。 そもそもこの概念は、1990年代に東京大学名誉教授で農学博士の今村 奈良臣 先生が創出された概念です。当初は今村先生も「1、2、3を足して6」とされていたようですが、この提唱から2年後に、「足し算では一次産業の重要性を説く上で不十分(すなわち、1次産業がゼロになったら、ほかの産業をいくら掛けてもゼロになってしまうという警鐘を鳴らすため)」、「掛け算にすることによって、1次・2次・3次産業間の有機的・総合的な結合が重要であることを説く」という意味で、掛け算に改めたようです。
地図帳・教科書に掲載する国名の表記は、以前は外務省所管の財団法人「世界の動き社」が発行した『世界の国一覧表』に従うことが定められていました。この本の国名の表記は、外務省が定める「国名表」に基づいていましたので、政府が公式に用いる表記でした。 しかし、『世界の国一覧表』は2007年版を最後に廃刊となり、現行の文部科学省「義務教育諸学校教科用図書検定基準 別表」では、国名の表記について「地名・人名(2)外国の国名の表記は、原則として外務省公表資料等信頼性の高い資料によること。」となっています。そのため、外務省が用いる公式表記である、外務省ホームページ「国・地域」に掲載されている国名を、地図帳・教科書でもおもに正式国名として掲載しています。
※外務省ホームページ「国・地域」 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/
小・中学校地図帳の日本地図においては、あえて600mと1400mの等高線を採用しています。これに、2000mの等高線も加えて、高さを4段階で大まかにとらえられるようにしています。 日本で最も標高が高い人口10万以上の都市は松本市で、その標高は610m(気象庁のアメダスの標高)です。つまり、600mの等高線には、これより低いところに人口や様々な産業の集中が見られるという意味が込められています。 一方、標高600~1400mの地域では、都市はあまり多く見られないものの、畑作や果樹栽培などの農業や林業などが営まれており、人々が生活しています。しかし、標高1400mを超えると山林が多くなり、産業がほとんど見られなくなります。1400mの等高線にはこうした意味が込められています。ちなみに、高原野菜で有名な長野県の野辺山原にある野辺山駅の標高は日本で最も高い1345mです。野辺山駅の周辺は広大な野菜の畑が広がっていますが、標高1400mを超えると畑は少なくなり、1500m付近まで上がると野菜はほとんど作られなくなります。 このように、小・中学校地図帳では、人々のくらしや産業を読み取れるように表現方法を工夫しています。なお、高等学校地図帳の日本地図では、100m、200m、600m、1000m、1600m、2000m、3000mの等高線を設定し、高校生の地理学習にふさわしい精度で地形の起伏を読み取ることができるように工夫しています。
小・中学校地図帳は、陸高(土地の高低)で色分けする「等高段彩」表現に加え、100万分の1と50万分の1の地図では、田・畑・果樹園・市街地など土地の使われ方で色分けする「土地利用」表現を合わせて用いています。土地利用表現の地図で、市街地や田畑の広がりを見ることによって、学習指導要領で示されている「日本の地域的特色」(人々のくらしや産業のようすなど)を端的にとらえることが可能となります。 例えば、中学校社会科の地理分野では、関東地方の学習をする上で、東京大都市圏のようすを知ることは欠かせません。地図帳の土地利用(市街地)を確認することで、東京都の市街地が周辺の県まで連続していること、東海道本線・中央本線・東北本線・高崎線などの鉄道路線に沿って広がっていることなどを読み取ることができます。 このほかにも、川に沿って水田が分布しているようすや、山梨県の甲府盆地の周縁斜面に桃やぶどうなどの果樹園が分布しているようす、静岡県の茶畑や北海道の牧草地の分布のようすなど、土地利用表現は、絵記号と合わせて地域の実態をとらえるのに役立つ表現であると考えています。こうした理由から、小・中学校の地図帳では土地利用表現を採用しています。
地図帳では、主要な農林水産物や工場など、地域の産業にかかわる絵記号を地図中に掲載しています。この絵記号を掲載する基準を決めるにあたり、まず統計を第一のよりどころとしています。例えば、桃の絵記号については、まず農林水産省『農林業センサス』で県別の収穫量を調査し、生産上位の県をリストアップします。さらに、農林水産省『作物統計調査』などでその県の中で特に生産がさかんな市町村をさらに詳しく調査し、その位置に絵記号を置くようにしています。 しかし、統計数値だけで一律に掲載するかどうかを判断してしまうと、地域の産業を正確に反映できないことがあります。例えば、岡山県の清水白桃は比較的少数生産ながら、全国的にも高い知名度・ブランド力をほこっており、岡山県の特産品となっています。そのことをふまえ、岡山県の桃の生産量は掲載基準を満たしませんが、倉敷市玉島付近に桃の絵記号を掲載しています。 このように、弊社では様々な資料を調査し、一つ一つを丁寧に吟味したうえで、地域の最新の実情が見えるよう絵記号を掲載しています。
南樺太や千島列島は、一度は日本の領土となった地域ですが、第二次世界大戦後に日本が放棄しソビエト連邦の施政権下におかれ、その後ロシア連邦に引き継がれて現在に至っています。しかしながら、日本政府の見解では、ソビエト連邦はサンフランシスコ平和条約に調印しておらず、さらに現在まで日本とロシア連邦でその領有についての話し合いが十分にもたれていないとの理由から、帰属未確定地であるとしています。 このような日本政府の見解をふまえ、1969年に当時の文部省から北方領土、千島列島、南樺太の取り扱いに関する通達がありました。これを受け、1971年度発行の教科書・地図帳から北方領土は日本の領土として、千島列島と南樺太は帰属未定地として明確に表記するようになりました。具体的には、①宗谷海峡上、②樺太の北緯50度上、③シュムシュ島とカムチャツカ半島の間、④択捉島とウルップ島の間の4か所に国境線を引き、その間の陸地は白地にしています。
日本の人口統計は大きく分けて、「住民基本台帳人口」と「推計人口」の2種類があります。 「住民基本台帳人口」は、各市町村にある住民基本台帳への届け出によって記録されている住民の数であり、毎月末日現在で算出されています。さらに、1月1日現在(平成25年までは3月31日現在)の住民基本台帳人口が、『住民基本台帳人口要覧』(国土地理協会)に集計されて、毎年刊行されています。一方「推計人口」は、総務省統計局が発表するもので、直近の「国勢調査」の人口を基準として、住民基本台帳や外国人登録、戸籍などから、その後の人口増減を毎月1日現在で算出したものです。推計人口の経年変化を追う場合は、国勢調査が実施される年の10月1日の人口を用いることが多いようです。 地図帳・教科書で日本の人口を取り上げる際は、前者の『住民基本台帳人口要覧』を出典としています。その理由としては、地図帳・教科書では日本全体の人口だけでなく、都道府県・市町村ごとの人口を毎年出す必要があるためです。5年ごとに実施される国勢調査をもとにした推計値よりも、住民票の登録によって確定値として毎年出される統計の方がより実態に近く、使い勝手が良いと判断しています。 そのため、国勢調査及び推計人口を毎年の人口として用いている統計書は、同じ年の人口の数値が地図帳・教科書と異なる場合があります。
アマゾン川の長さは、最新の統計では6516kmとなっていますが、かつては6300kmとされていたこともありました。 川の長さとは、一言でいうと「河口から源流までの距離」のことです。もちろん一つの川にはいくつもの源流があるので、河口から最も遠い源流までの距離を測り、その川の長さとしています。日本の川の源流はほぼ正確に調査されているため、川の長さが大きく変わるということはほとんどありません。しかし、アマゾン川はアンデス山脈の奥深くから流れ出し、人跡未踏の熱帯雨林を数千kmも流れているので、どこが河口から最も遠い源流なのかを調査するのは容易なことではありません。そのため、調査が進んで河口からさらに遠い源流が新しく発見されるたびに、川の長さが更新されています。アマゾン川の長さについては今でも議論が続いており、7000km近い長さであるとの説もあります。新しい源流が発見されて、現在世界最長のナイル川の長さをいずれ追い越すのではないかともいわれています。
世界の最低・最高気温の数値を変更したのは、弊社がこの統計の出典としている気象庁監修の『気象年鑑』において数値が変更されたためです。この『気象年鑑』では2011年版から、最低・最高気温の統計の出典を世界気象機関(WMO)のデータに切りかえました。それを受け、弊社でも2014年度の教科書・地図帳から、最低・最高気温の数値を変更しています。 気候の最低・最高値は過去のものも含めると諸説あり、正確に測定されたものかどうか疑わしいデータも存在します。オイミャコンの最低気温については、当地に南極以外で最低気温を記録した碑があり「1926年 -71.2℃」と刻まれていることが知られていますが、この数値が正確に測定されたものかどうかについてはかなりの疑問が残るようです。同じように、かつて最高気温を記録したとされるイラクのバスラの数値もデータの出所がはっきりしないため、現在の最高気温は、デスヴァレー(アメリカ合衆国)の56.7℃というように変更されています。 このような事情があるため、弊社でもWMOのデータを採用して、これまでの数値は「非公式のもの」として取り扱っています。
かつての地図帳では、「武蔵野台地」「牧ノ原台地」などの表記を用いていました。しかし、昭和59年度版の地図帳から「『原・野』は、その文字自体が台地状の地形という意味をもっているため、語尾に『台地』をつけない」という国土地理院の見解に統一して表記することになりました。 この際「台地」という語が削除された自然地名は、「武蔵野」「牧ノ原」「三本木原」「那須野原」「相模原」「磐田原」「三方原」「笠野原」の計8か所です。
ユーラシア大陸は、ウラル山脈を境にしてヨーロッパ州とアジア州に分けられます。ロシアはウラル山脈をはさんで東西に広がっていますので、ロシアの領土はヨーロッパ州とアジア州にまたがっている、ということになります。ロシアのヨーロッパ州に属する地域をヨーロッパロシア、アジア州に属する地域をシベリア、極東ロシアとして区分することもあります。 とはいえ、国連の地域区分によると、一つの国家としてのロシアはヨーロッパに分類されています。その理由としては、政治の中心である首都モスクワがヨーロッパロシアにあることが挙げられます。また、おもにヨーロッパロシアに住むスラブ系白人のロシア人が人口の8割を占めていることなどが考えられます。実際ロシアでは、スラブ語派のロシア語が公用語として話され、ロシア正教が広く信仰されるなど、ヨーロッパの文化が広く浸透しています。そのため、弊社の教科書・教材の統計資料では、国連の地域区分に基づき、ロシアをヨーロッパの一国として扱っています。
文部科学省「義務教育諸学校教科用図書検定基準 別表」では、外国地名について「地名・人物(3)外国の地名及び人名の表記については、慣用を尊重すること。」とだけ記されており、具体的な表記の基準については記されていません。とはいえ、国語審議会『中国地名・人名の書き方の表』(1949年)、文部省『地名の呼び方と書き方<社会科手びき書>』(1959年)では、「中国・朝鮮の地名は、現代の中国標準音でかな書きにする」と記されています。また、教科書研究センター『新 地名表記の手引き』(1994年)では、「外国の地名は、なるべくその国・地域なりの呼び方によって書く。」「中国・朝鮮の地名は片仮名で書く。ただし、慣用として広く使用されているもの、その他必要のあるものについては、漢字を付記する。」となっています。特に、『新 地名表記の手引き』は地図帳・教科書における地名表記のよりどころとなっており、弊社も本書を参考にしたうえで、現地語に近い読みを研究し、表記を決定しています。ただし、中国における漢字表記は日本人にとってなじみのあるものですので、主要な地名についてはカタカナの後に( )書きで漢字を併記しています。 ちなみに、中国の首都の「北京」は、現在の中国語(普通話)では「ベイジン」が近い読みとなりますが、中国南方の発音で江戸時代から用いられている「ペキン」という読みが日本では定着しています。外務省でも「ペキン」を用いていますので、地図帳・教科書では「ペキン(北京)」と表記しています。
アメリカ合衆国では独立後、ポトマック川付近に首都を建設することになりました。1790年7月16日に100平方マイル(約259㎢)の正方形の首都区域が創設され、その区域の名前はクリストファー・コロンブスにちなんで「コロンビア特別領」とされました。また、その中に首都として置く都市の名前は、初代大統領ジョージ・ワシントンにちなんで「ワシントン市」とされ、コロンビア特別領内の独立した地方自治体でした。しかし1871年、首都区域全体を単一の地方自治体として統括させるため、コロンビア特別領とワシントン市が統合されて「コロンビア特別区(District of Columbia)」が成立しました。コロンビア特別区はどの州にも属さず、連邦政府の直轄地となっています。 現在でもアメリカ合衆国の首都は、法律上正式には「コロンビア特別区」です。しかし、上記のような経緯から、この都市のことを「ワシントンD.C.」あるいは単に「D.C.」とよぶことが多いようです。そのため、弊社の教科書・教材では、アメリカ合衆国の首都を「ワシントンD.C.」と表記しています。ちなみに、アメリカ人に単に「ワシントン」とだけいうと、ほとんどの場合北西部の「ワシントン州」のことと考えるようです。
インドの首都については、かつてニューデリーと記載した時期がありますが、外務省所管の財団法人「世界の動き社」から発行されていた『世界の国一覧表』に合わせデリーに変更した経緯があります。そもそもインドの首都をニューデリーと記載することに対しては専門家の間でも疑問視されてきました。連邦管轄地であるデリーは、行政単位としてオールドデリー、ニューデリー、デリーカントメント(軍管区)の3区域に分かれていますが、ニューデリーに首都機能が集中しているために、かつてニューデリーを首都としてきました。しかし都市の体をなさない政府機関の集まっている地区をあたかも一つの都市のように扱うことが問題視されていました。現在ではインド憲法に「インドの首都はデリーに置く」と明記されていること、デリー首都圏地域法(National Capital of Delhi Act)でもデリーという表記を用いていることを根拠に、デリーを首都として記載しています。 インド大使館のウェブサイトや外務省の各国・地域情勢ではインドの首都をニューデリーとしていますが、ニューデリー地区に首都があるという意味で、これも間違いとは言えず、首都というもののとらえ方の違いといえます。
世界の島で第3位の面積(73.7万㎢)を擁するカリマンタン(ボルネオ)島は、北部をマレーシア(サバ州・サラワク州)とブルネイ、南部を東・西・南・中カリマンタンの4州で構成されるインドネシアが領有しています。 古くは先住民を追いやるかたちでマレー人が進出し、その後中国人やインド人による植民地建設が始まりました。7~8世紀の唐代ごろから「渤泥(ブルネイ、ボッデイ)」とよばれて中国で広く知れわたり、10世紀ごろには島の北部にブルネイ王国が成立していました。16世紀以降、欧州諸国が相次いで進出すると、ポルトガル人によって「ボルネオ(Borneo)」の呼称がつけられました。これは、「ブルネイ」が訛ったものと考えられています。その後、18世紀半ばにイギリスとの抗争で勝利したオランダが一帯を支配(オランダ領東インド)するようになりましたが、19世紀半ばに再びイギリスが島の北部に侵入しました。1891年、オランダ・イギリス両国はボルネオ島における境界線を決め、北部をイギリス領の北ボルネオ・サラワク・ブルネイ、南部をオランダ領のボルネオとする東南アジア支配を確立しました。第二次世界大戦後、インドネシアの独立とともにオランダ領は同国の領有となり、北ボルネオとサラワクはマレーシアに加わりました。 インドネシアでは、独立と同時に「カリマンタン島」を正式呼称とし、近年日本の外務省も公式に使用しています。一方のマレーシアでは「ボルネオ島」を使っていますが、自国領の部分は州名の「サバ」「サラワク」と呼称することが普通で、インドネシアほど島名にこだわっていません。そのため、弊社の教科書・教材では「カリマンタン」を優先し、「ボルネオ」は別称として併記して扱っています。
弊社ではこれまで、国名や首都名の典拠として、外務省所管の財団法人「世界の動き社」が発行した『世界の国一覧表』を利用してきました。この資料は、「タンザニアの首都はダルエスサラーム」とした上で注を設け、「同国はドドマを法律上の首都としている」としています。こちらは現在廃刊となっていますが、以下3点の理由で、当資料を引き継ぎ、ダルエスサラームをタンザニアの首都として記載しています。
①ドドマには立法府のみが立地し、行政府をはじめとした多くの首都機能がダルエスサラームに所在する現状は変わっていないため。
②これに変わる資料として外務省ホームページが挙げられますが、こちらはしばしば表記の変更が起こることがあり、その都度、地図帳の表記を変更していると学校現場で混乱を生じる恐れがあり、典拠として適しているとはいえないため。(外務省ホームページの表記は次のようになっています。“ドドマ(法律上の首都であり、国会議事堂が置かれている)(政府官庁が存在するなど、事実上の首都機能を有し、経済面でも中心となっているのはダルエスサラーム)”)
③各教科書発行者の間で表記の不統一があると、学習現場での混乱が生じる恐れがあることから、国名・首都名に関しては、教科書発行者間で協議し、同一の名称を掲載するようにしているため。(その中でタンザニアの首都名についてはダルエスサラームで統一する見解となっています。))
東京都の「東京都庁の位置を定める条例」では、都庁の位置を「東京都新宿区西新宿二丁目」と定めていますが、これは住所でいう地番としての意味合いが含まれています。しかし、地図帳における都道府県庁所在地は、都道府県の役所が置かれている「都市」としての意味合いが大きいといえます。それでは、新宿区は都市ではないのでしょうか。 現在の東京23区の範囲には、かつて東京市という自治体がありましたが、1943年に東京府と東京市が合併して東京都になりました(東京都制施行)。この際、東京都の内部機関として35区が設置されました。その後23となった東京の区はほかの政令指定都市の区と異なり、区長が選挙で選ばれたり、区教育委員会・区立小中学校があったりと、市町村の機能の一部をもっています。そのため、東京23区は「特別区」とよばれています。一方、東京市がもっていた市町村としての主要な権限(上下水道の設置管理、消防等に関する権限など)は東京都がもつことになりました。また、東京都知事は「東京都の知事」であると同時に「東京23区全体の市長」としての権限ももっています。こうした理由から、新宿区をはじめとする東京23区は、各区が単独で市町村と同格にはなりません。 このような経緯や背景もふまえて地図帳では、国土地理院の地形図(1/20万)なども参考に東京23区をひとまとまりとしてとらえ、慣習的に用いられている「東京」の名称で記載するようにしています。参考までに、国連が『世界人口年鑑』などで公表する「世界の都市人口」の統計でも、東京23区を「東京」という都市として扱っています。
地方の区分に明確な決まりはありませんが、教科書で用いられている7地方区分は明治時代に使われるようになったもので、学校教育では1903(明治36)年発行の国定教科書『小學地理』で、公式に取り扱われました。その中で三重県は近畿地方に含まれていますが、その背景には歴史的な経緯があるようです。 「近畿」とは「畿内とその周辺地域」という意味であるとされており、三重県も京都や奈良に都があった際の圏内だったようです。実際、三重県では関西弁に含まれる方言が使われているなど、生活・文化的な面で近畿地方と深い関係があります。そのため、三重県は7地方区分では近畿地方に含まれます。 一方で、三重県は北部を中心に、中部地方との結びつきも深い県です。例えば、四日市市など伊勢湾沿いに発達した工業地域は、愛知県の名古屋市を中心とする中京工業地帯に含まれますし、三重県内から名古屋市に通勤・通学する人も少なくありません。そのため、三重県を「中部地方」としてとらえることもあるようであり、三重県を中部地方の管轄とする国の出先機関もあります(例:国土交通省中部地方整備局は、三重・岐阜・静岡・愛知・長野県南部の5県を管轄)。また、三重県を愛知県・岐阜県・静岡県と合わせて「東海地域」として扱うことも多くなっています。
歴史
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従来は約440万年前のラミダス猿人の化石が最古とされてきましたが、2001年にチャドで発見された約700万年前の猿人、トゥーマイ猿人の存在が学界で認められるようになってきました。そのため、平成25年度版教科書より、新しい学説に合わせて修正しています。なお、「トゥーマイ」とは、現地語で「生命の希望」を意味するそうです。また、ケニアでは約600万年前の猿人とされる「オロリン=トゥゲネンシス」が発見されるなど、新たな化石人類の発見が相次いでいます。
人類の直立二足歩行は、アフリカのサバンナ(草原)で生活していくための適応の結果として、直射日光を浴びにくく、周囲を見わたしやすく、高い位置にある食物に手が届くようになるために変化していった、などと考えられてきました。しかし、近年発見されている人類の化石は、いずれも比較的湿潤な森林地帯で生活していたことが確認されていて、従来の説を考え直すように迫られています。
また、人類の起源はアフリカ大地溝帯の東側といわれてきましたが、そこから2500km以上離れたチャドでこのような発見があったことで、仮説を根底からくつがえす結果になりました。なお、トゥーマイ猿人の腰や足の骨は報告されていないため、確実に直立二足歩行をしていたかどうかは確認されていません。また、年代の測定法にも異論が唱えられており、議論の余地はまだ残されています。
弥生時代については、紀元前3世紀ごろから紀元3世紀ごろまでの600年間ととらえています。その一方で、この記述に注釈をつけて、弥生時代のはじまりを紀元前10世紀とする新しい研究成果も紹介しています。これまで通説となっていた、「弥生時代のはじまり=紀元前300年」は、1960年代に、土器編年(土器を各地域ごと、各型式ごとに前後関係に分類・整理し、年代順に配列すること)や遺跡から出土した中国の青銅器をもとに割りだされた年代に、弥生前期のコメや貝を炭素14年代法(遺物の中の炭素の放射性同位体である炭素14の量から年代を推定する方法)で測定したデータ結果を加味して出された説でした。2002年、弥生時代のはじまりを紀元前10世紀ごろであると発表したのは、国立歴史民俗博物館(以下、歴博)です。歴博は最新のAMS−炭素14年代法などによって測定した結果、九州北部の弥生時代遺跡から出土した、土器に付着する炭化物(コメのおこげ)や木杭は、紀元前900~800年のものであり、紀元前10世紀後半に九州北部で本格的にはじまった水田稲作が、約800年かかって日本列島を東漸したとの説を展開しました。水田稲作が九州北部から各地に広がるのに要した年月は、例えば瀬戸内海西部地域までで約200年、摂津・河内までで300年、奈良盆地までで400年、中部地方には500年、南関東には600~700年、東北北部には500年であると推定されますが、水田稲作が、きわめてゆっくりと各地に広がっていったことが、ここから分かります。
こうしてみますと、従来のように「弥生時代のはじまり=紀元前300年」などと、ある一点で区分すること自体、無理があると思われますが、教科書本文では、通説に従った紀元前300年と記述し、注釈で紀元前10世紀という説を示しました。これは現時点では様々な議論があり、また地域によって差があることを踏まえた記述であることを、ご理解いただきたいと考えております。
「ヤマト王権」は、3世紀後半以降から奈良盆地に成立した、のちの大王を中心とする豪族たちのゆるやかな連合勢力のことをいいます。この政治体制を示す用語として、「大和朝廷」が一般的に用いられています。しかし、「朝廷」という言葉には、天皇と貴族による中央集権政治という意味合いが含まれることが多く、成立当初、まだ「朝廷」という語にふさわしい政治制度をもっていなかったこの豪族の連合勢力に、「朝廷」を使用することは学界でも疑問がもたれるようになりました。このため「朝廷」を用いずに、王と諸豪族の貢納・奉仕を媒体とした当時の人間的関係を踏まえて、「王権」という語を用いるようにしました。
なお、ヤマト王権は、中国大陸との関わり合いなどを通じて、しだいに制度を整え、7世紀後半の律令制度の施行でその制度は一つの到達点をむかえました。そのため、弊社では、この時期から「朝廷」という語を使用するようにしています。
次に「ヤマト」王権の「ヤマト」というカタカナの表記についてですが、「ヤマト」は現在の奈良県地域を示す地域名称として用いられており、この政治体制が存続した時代には、倭・大和・大養徳などと様々な漢字で表記されてきました。その一方で、「大和」という国名は、7世紀の『古事記』『日本書紀』では使用されておらず、8世紀中ごろに施行された『養老令』から、広く「大和」国と使用されるようになりました。さらに、「倭」は、中国で日本の総称として用いられていました。そのため、地域名称としての「ヤマト」を表す場合、国名の「倭」や「大和」との混同を避けるために、カタカナでその音を表しています。
なお、高等学校の日本史教科書でも、「ヤマト」とカタカナで表記されております。また、「朝廷」の文字も使われず、7世紀後半までは、「政権」「王権」で表記されています。
かつての教科書の「聖徳太子」の記述は、推古天皇の摂政として、十七条の憲法や冠位十二階の制定、仏教の交流や遣隋使の派遣など、重要な政策を一手に担う革新的な政治を行った人物として記述されていました。この「聖徳太子」の事績は、奈良時代前半に成立した『日本書紀』に依拠しており、教科書では明治期に近代国家の体制や歩みと重ねて顕彰して記述されるようになりました。
しかし、「聖徳太子」の記述の根拠となる史料の時期を分析すると、『日本書紀』は奈良時代初期、法隆寺関連の史料は、確実に年代が確認できるのが奈良時代中期になります。つまり、聖徳太子の事績の根拠となる史料は、彼の死後1世紀を過ぎた史料であるといえます。また、「聖徳」とは厩戸王の没後におくられた名であること、また「太子」は「皇太子」の意味ですが、厩戸王存命時に、「天皇」や「皇太子」の呼び名や制度が成立している可能性はかなり低いことも、現在の研究では分かっています。このような状況から、「聖徳太子」の存在自体を否定する説もでています。しかし、その記述内容を分析し、ほかの史料と合わせてみると、「聖徳太子」のモデルとなった「厩戸王」といわれる実在の人物がいたこと、その人物が、奈良県斑鳩の地に斑鳩宮や斑鳩寺(法隆寺)を営むほどの有力な王族であったこと、中国の『隋書』などからも倭国に中国の太子に対応するような有力な王子がいるとみていたことなどは確実にいうことができます。そのため、現在では、推古朝において、蘇我馬子とともに厩戸王が政治を行ったというのが有力となっており、弊社でもその考えのもと、「聖徳太子(厩戸王)」と表記しています。
同様に、宮内庁侍従職が保有する「唐本御影」は、聖徳太子を描いた最古のものと伝えられる肖像画で、これまで高額紙幣の肖像画や教科書でも「聖徳太子」として使用されていました。そのため、この画像が「聖徳太子」というイメージを人々に強く残しました。しかし、この絵と「聖徳太子」とを関連づける当時の史料がないこと、絵の画像の研究から、製作年代は早くとも8世紀(奈良時代)と考えられることなどから「伝聖徳太子像」として表記するようになりました。
「聖徳太子」の研究は、聖徳太子自体が、信仰の対象であり、史料の記述も信仰と実際の事績が混在しているため、歴史的な「謎」につつまれた部分が多いのも事実です。しかし上記のような研究成果を反映し、高等学校の教科書だけでなく、一般の学術書にも「厩戸王」と記載する傾向となっています。
参考文献:大山誠一 『〈聖徳太子〉の誕生』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館 1999年
熊谷公男 『大王から天皇へ』(日本の歴史 第03巻)講談社 2001年
鎌倉幕府が開かれた年は、「いい国つくろう鎌倉幕府」という語呂合わせがあるように、源頼朝が征夷大将軍となった1192年とする説が広く知られていました。しかし、近年では鎌倉幕府を構成する組織が1180年から徐々に設置されるなど、1192年までの間に段階を踏んで整えられていったと考えられています。1192年は成立ではなく、鎌倉幕府という組織の基本形態が名実ともに「完成した」という見方が優勢になっています。
そのため教科書では、このような近年の見方に基づき、年表で平安時代と鎌倉時代の境界を斜め線で表すなど、鎌倉幕府の成立年を単独の年に求めるのではなく、段階を踏んで「完成した」ととらえています。
参考までに1180年から1192年の鎌倉幕府に関するおもな動きは以下の①~⑥のようになっています。
①1180年:頼朝が東国支配を樹立(富士川の戦いでの勝利など)し、鎌倉を本拠地に侍所を設置した
②1183年:朝廷より頼朝の東国支配権を承認する宣旨が下された
③1184年:公文所(のちの政所)・問注所を開設した
④1185年:守護・地頭を設置した
⑤1190年:頼朝が右大将(右近衛大将)、日本国総追捕使・総地頭となった
⑥1192年:頼朝が征夷大将軍となった
『国史大辞典3』(吉川弘文館)によると、鎌倉幕府という呼称が学術上の概念として用いられはじめたのは明治20年ごろからです。征夷大将軍を首長とする政権を幕府とよぶようになったのは江戸時代後期からとされており、「○○幕府」という呼称は鎌倉・室町時代の武家政権が続いたことによって成立した呼称と考えられています。
このように、今日の「征夷大将軍になる=幕府が成立する」という考えは江戸時代後期に誕生し、鎌倉時代にはなかった考え方であること、また実質的な組織はそれ以前から成立していたことなどから「征夷大将軍となる(1192年)=幕府が成立する」とは考えられなくなっています。
また、元来中国の古典で「将軍の陣営」を意味する「幕府」という言葉が、征夷大将軍とセットで使用されるようになった背景には、「幕府」が右近衛大将の中国名であり、右近衛大将に任じられた頼朝がやがて征夷大将軍になったことに由来すると言われています。
参考文献:国史大辞典編集委員会『国史大辞典3 か』 吉川弘文館 1983年
源頼朝像の肖像というと、かつては京都府の神護寺にある国宝「伝源頼朝像」が教科書にも大きく取り扱われる定番でした。その根拠としては『神護寺略記』に、似絵の名手であった藤原隆信による後白河法皇像とともに、源頼朝像、平重盛像、平業房像、藤原光能像が収められたと記録されていることが挙げられます。このうち法皇像は室町時代の写しのみとなり、業房像は現存していません。そして、神護寺に現存する似絵3点が伝統的に「源頼朝」「平重盛」「藤原光能」の肖像と伝えられてきました。
しかし、1995年に美術史家の米倉迪夫氏によって、この「伝源頼朝像」は足利尊氏の弟「足利直義」の肖像であるという説が提起されました。米倉氏の論点は、①『神護寺略記』と「伝源頼朝像」を結びつけるのは根拠に乏しい。②3像には作風の微妙な違いが認められ、そこから「伝源頼朝像」と「伝平重盛像」は最初のセットで、ついで「伝藤原光能像」が加わったと考えられる。③足利直義願文によると1354年に神護寺に尊氏と直義兄弟の像が奉納され、この際に似絵2像が奉納されたと考えられる。④「伝平重盛像」は、宮内庁所蔵の「天子摂政御影」にみえる平重盛の肖像とは顔貌が異なる一方で、「伝平重盛像」が「足利尊氏像」に近似している。⑤「伝藤原光能像」は、等持院像の「足利義詮像」に近似している。⑥「伝源頼朝像」と「伝平重盛像」の太刀の柄に桐紋の痕跡があるが、これは足利氏の家紋の一つである。⑦様式的にも、この時期の似絵「夢窓疎石像」との造形的共通性が指摘できる、というものです。これらに加え、絵画史において、武士の肖像画が鎌倉末期から隆盛をむかえるにもかかわらず、それよりも前の鎌倉初期にいきなりその傑作が登場する矛盾が指摘できます。また、科学的分析でも、この3像に使用されている絵絹の素材が、南北朝時代のものであるという指摘もなされるようになりました。これらの状況から、神護寺の「伝源頼朝像」は、足利直義とする説が有力になっています。
では、源頼朝の顔貌を示す像はほかにないのかという視点で史料を検討した結果、甲斐善光寺に伝わる「源頼朝像」が、唯一当時の源頼朝の顔貌を示す坐像であることが分かってきました。その証拠は、この像の胎内に記された銘文です。銘文には、この像が北条政子の命により源頼朝の死後まもなく造られたと解読できました。また、現在の胴部分は火災によって本来の胴の部分が焼失後に修繕されたものということが分かりました。しかし、これにより顔の部分は鎌倉初期の作成と特定することができました。また、同じく甲斐善光寺には源実朝坐像が所蔵されていますが、この顔貌は、京都国立博物館所蔵の「公家列影図」の実朝の顔貌と近似しています。以上のことから、弊社では甲斐善光寺の坐像を、源頼朝として紹介しています。
参考文献:黒田日出男 『源頼朝の神像』(角川選書490)角川学芸出版 2011年
黒田日出男 『国宝神護寺三像とは何か』(角川選書509)角川学芸出版 2012年
九州の福岡市を「福岡」と名付けたのは戦国大名の黒田長政です。福岡藩の藩祖の黒田長政は、関ヶ原の戦いの戦功により豊前国中津から大幅加増されて筑前国に転封となりました。黒田氏は、黒田長政の曾祖父にあたる黒田重隆の代まで備前国邑久郡福岡村(現在の岡山県瀬戸内市長船町)にいましたが、1601年に長政が筑前国那珂郡警固村福崎(現在の福岡市中央区)に城を築いた際、ゆかりの地である備前の地名にちなんで、この地を「福岡」と名付けました。教科書などに掲載されている『一遍聖絵』が描かれた鎌倉時代には、現在の福岡市に「福岡」の地名はまだなく、有名な福岡荘の絵は備前国の福岡について描かれたものになります。
現在の福岡市は、江戸時代には、那珂川を境にして西側が「福岡」、東側が「博多」とよばれていましたが、「福岡」は武士のまち・行政都市として、「博多」は町人のまち・商業都市として機能分化し、「双子都市」として発展しました。1889(明治22)年に福岡市が誕生しますが、こうした歴史を踏まえて、このとき市名をどうするかで「福岡派」と「博多派」が激しく対立します。翌年、市議会に「市名変更」の議題が提出されましたが、採決では同数となります。最終的に旧福岡藩の武士出身の議長が投票した結果、わずか1票差で「福岡市」となりました。
以前の弊社の教科書では、「栄西」には「えいさい」のフリガナのみを振っていました。では、なぜ現在「ようさい」と「えいさい」の2つのフリガナを併記しているかといいますと、栄西が開創した京都最初の禅宗寺院「建仁寺」において、学僧・東晙(とうしゅん)があらわした栄西の『興禅護国論』の注釈書に「イヤウサイ」と読みが振られていることから、建仁寺では栄西を「ようさい」と読んできたことに基づいております。「えいさい」の読みも間違いではなく、研究書や歴史辞典などにおきましても、両方の読みがあることが示されており、弊社においても、建仁寺の「ようさい」という読み方を文化として尊重したうえで、両方のフリガナを併記する形をとっています。
弊社の教科書が、鎌倉時代と室町時代の産業を、両時代で分けずにひとまとめにして扱っている理由は、鎌倉時代と室町時代の産業構造において見られる類似性と連続性の強さにあります。例えば、農業の発達を見てみますと、鎌倉時代に畿内の一部で行われ始めた二毛作が、室町時代には西日本を中心に広がっていくことがあります。施肥についても、鎌倉時代には草木灰中心だったものが、室町時代になると、より養分が豊富な人や家畜の糞なども使用され始めて多様化していきますし、灌漑技術においても、鎌倉時代に登場した水車が、室町時代になると、その利便性ゆえに広く普及していきます。このような両時代にまたがる類似性や連続性は、農業面においてのみならず、貨幣の流通、定期市の発達、運送業者の活躍、手工業の発達など、商業面や工業面においても、共通して見られることから、鎌倉時代と室町時代を含むこの時期の産業については、2つの時代に分割してとらえるのではなく、一連の流れとして、ひとまとまりでとらえるべき内容と判断しております。
さらに、現行学習指導要領においては、古代・中世・近世・近代・現代という、より大きな時代のくくりで各時代の特色をとらえることが歴史的分野の学習目標として掲げられております。上記の学術的側面に加え、この学習指導要領における学習目標の指針も踏まえまして、教科書におきましては、中世の産業のようすの全貌とその特色について、より適切かつスムーズに理解していただけるよう、鎌倉時代と室町時代とに分けずに、まとめて扱わせていただいている次第です。また、分割して扱うことで生じる内容の重複を防ぎ、先生方のご指導や生徒の皆様の学習上の煩雑さを排除することも意図しております。
江戸時代の幕府直轄地は、当時は単に「御領」「御領所」とよばれていたようです。幕府直轄地に対して、「天領」という呼称が生まれたのは明治時代です。幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」とよばれたのがはじまりです。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになったため、当時からこの名でよばれていたかのように定着するようになりました。
一方の「幕領」「幕府領」も、当時の呼称ではありません。しかし、藩領と区別して幕府の領地であるということが明確に分かるため、弊社では「天領」ではなく「幕領」という表記を採用しています。
江戸時代の外交・貿易政策の特徴を示す言葉として、「鎖国」という言葉が使われてきました。そもそも「鎖国」という言葉は、江戸初期から存在した言葉ではなく、江戸後期の蘭学者の志筑忠雄が、オランダ商館医として日本に滞在したケンペルの著書『THE HISTORY OF JAPAN(日本誌)』オランダ語版の付録第6章を翻訳する際に「鎖国」という造語を1801年に作ったのがはじまりです。そのため、3代将軍家光のときに、キリスト教禁制政策の一環としていわゆる「鎖国令」が出されますが、「鎖国」という言葉が当時から使われていなかったことには注意しなければいけません。19世紀ごろから、ロシアやアメリカなどがさかんに通商を迫るようになって来た際に、「鎖国」が伝統的な外交政策であると幕府が断る理由として使用するようになってきたといわれます。このような状況から、「鎖国」という言葉が、外交・貿易統制当初から使われた言葉ではないため、「 」を付けています。
また、「鎖国」という言葉がもつ、「国を鎖す」という受動的・否定的なイメージと、江戸時代の外交・貿易の実態とは違うという点からも、「 」を付けています。とくに1980年ごろから、幕府の外交・貿易統制を東アジアの伝統的な対外政策である「海禁」として積極的にとらえる考えがでてきました。つまり、幕府の外交・貿易は、長崎を基軸にしながら、松前・対馬・薩摩のそれぞれの藩に対外関係の口を担わせ(いわゆる「四つの口」)て、外交・貿易統制を行っていたという考えです。これは、幕府が東アジアにおけるキリスト教禁制や欧米の勢力争い、中国の明から清への交替などの状況を踏まえた対外政策としての貿易統制を行ったというとらえ方をしているのが特徴です。幕府自身も、17世紀末ごろから「海禁」の言葉を使用しています。しかしながら、この言葉も江戸初期から使われた言葉ではありません。
このように江戸幕府の外交・貿易統制を「鎖国」のみで説明するのは、断片的であるといえます。しかし、教科書で長く使われた用語であり、江戸幕府の貿易の実態とともに使用すれば、江戸幕府の対外政策の独自性を象徴的に示せる言葉でもあります。このため、「 」を付けた「鎖国」と表現して掲載しています。
江戸時代初期には、明治以降の近代国家のような明確な国境線があったわけではありません。歴史的に、中国、朝鮮、琉球、蝦夷地はほかの国という認識があり、「四つの口」として外交・貿易統制を行いました。ただし、蝦夷地は、ほかの3つのような政府が存在しませんでした。そのため、松前藩のアイヌの人々への支配の強化という形で、幕府による蝦夷地の支配体制が確立していきます。
18世紀後半になると、ロシアが毛皮貿易の拠点づくりのために積極的にオホーツク海沿岸に進出し、日本に通商を要求してきます。この際、ロシアも幕府も「蝦夷地」は日本のものとして扱っています。しかし、その境界はどこにあるのかは未確定でした。同じころ仙台藩士の林子平がまとめた『三国通覧図説』の地図でも、蝦夷地は日本と意識されていますが、その形は不正確です。その後、幕府は蝦夷地防備のため、伊能忠敬の測量隊の派遣や、間宮林蔵などによる蝦夷地探索を展開していきます。この中で幕府は、ロシアに先んじて国後島や択捉島を発見・調査し、遅くとも19世紀はじめには実効的支配を確立しました。ロシア側も自国領土の南限をウルップ島と認識しており、幕府とロシアによって1855年に結ばれた日露通好(和親)条約により、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。一方で、樺太は両国の雑居地とされました。近代国家の「日本」がロシアと正式な国境を画定するのは、1875年の樺太・千島交換条約によってです。これによりウルップ島以北の千島列島を日本領とするかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。こうして樺太と北海道の間に国境が画定しました。
日露和親条約が結ばれたのは、安政元年12月21日です。歴史学では慣例として、安政元年を1854年として表記してきました。しかし、安政元年12月21日を厳密に西暦に換算すると1855年2月7日になります。2013年に文部科学省が策定した「教科書改革実行プラン」に基づき、「教科用図書検定調査審議会」が了承した教科書記述の検定基準の改正案では「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」となりました。こうしたことからも、弊社では、条約の日付や名称は外務省の表記に統一するようにしております。外務省では、条約の調印は、相手国との共通の日付の確認が重要であるため、外交の基準である西暦の表記で統一しています。また、条約名も、日魯通好条約(日露和親条約)と表記しています。そのため、この表記に統一しています。ただし、「魯」の文字は、義務教育においては基本的に使用しませんので、「露」の文字を使用して、日露通好条約と表記しています。同様に、1895年の下関条約も、外務省では、日清講和条約という表記が優先して使われていることから、こちらも日清講和条約(下関条約)と表記しています。
「古代の蝦夷(えみし)がアイヌそのものである」、あるいは「蝦夷のすべてがアイヌの祖先である」とするのは、論争中ではあるものの、現在の研究ではほぼ否定されつつあります。
奈良時代に「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人々は、東北に住んで、中央と著しく生活・文化様式が異なる人々のことであり、本来は人種的な区別をもたない、きわめて文化的・政治的な概念でした。この意味では「蝦夷」にアイヌも含まれると考えられます。しかし、「蝦夷それ自身がアイヌである」、あるいは「蝦夷のすべてがアイヌの祖先である」と断定できるだけの証拠もありません。
やがて、「蝦夷(えみし)」の中でも律令国家の支配がついに及ばなかった、東北北部から北海道にかけての蝦夷が、北方の蝦夷として特別視され、平安中期以降には、これが「蝦夷(えぞ)」とよばれるようになりました。現在では、蝦夷が「えぞ」とよばれるようになったころから、「蝦夷」がアイヌを指すようになったと見るのが通説のようです。ちなみに、アイヌと思われる「蝦夷」を記した初見は、1356年成立の『諏訪大明神絵詞』にあるとされています。 このように「蝦夷(えぞ)=アイヌ」は中世・近世に通用した概念で、これを古代蝦夷(えみし)にも当てはめるのは正確ではありません。
江戸時代初期、肥前国島原と肥後国天草の領民が帯同して起こした、大規模な百姓一揆を示す用語として「島原の乱」が一般的に用いられてきました。しかし「島原の乱」とすると、島原でだけ一揆が起こったような印象を与えます。確かに、領民が最後にたてこもった場所は、島原半島の原城でした。しかし、実際に一揆が起こったのは、肥前国島原と肥後国天草の各々の場所でした。このため、島原だけでなく天草を加えて、「島原・天草」と表記するようにしました。
また、この一揆は、従来のようなキリスト教徒による反乱という見方だけでとらえるのではなく、領主の苛酷な圧政に対する大規模な百姓一揆というとらえ方もされるようになってきました。これまでキリスト教徒による反乱という点が強調されてきたのには、幕府がこの後いわゆる「鎖国」政策を強化し、人々に徹底して禁教政策を推し進めるよい口実にした、という背景がありました。しかし、当時の宣教師が、領主の圧政とキリスト教に対する苛酷な迫害に対する一揆と書き記しているように、近年では、百姓一揆としての性格も重視されるようになってきました。そこで「乱」ではなく「一揆」というように、その表現も改めています。
『慶安の触書』は、1649(慶安2)年に幕府が発布した法令として、明治時代に編纂された『徳川禁令考』に収録され、長く教科書で紹介されてきました。しかし、近年これは幕府法令ではないという説が定説となりつつあります。実は、『慶安の触書』は、早くからその存在が疑問視されていました。その理由は、『御触書寛保集成』をはじめとする幕府が編纂した幕府法令集に収録されていないこと、『五人組帳前書』などの百姓支配関係の文書に引用や反映がないこと、なにより慶安当時に幕府の法令として出されたはずの『慶安の触書』の現物が、全く発見されていないことが存在否定説の大きな理由でした。しかし、『慶安の触書』が幕府法令でないのならば、一体何なのかが不明なため長く幕府法令として扱われていました。
近年になり、地域の史料調査が進むと、『慶安の触書』の原型と見られる文章が発見されました。それは17世紀半ばに甲州から信州にかけて流布していた『百姓身持之事』という地域の百姓に対する説諭的な教諭書をもとに、1697(元禄10)年に甲府徳川藩が発令した『百姓身持之覚書』という甲府徳川藩法でした。そして、当時の甲府徳川藩主は徳川綱豊で、のちの6代将軍家宣でした。
これを『慶安の触書』として広く流布させた人物は、幕府の教育機関として昌平坂学問所を整備した林述斎でした。彼は、19世紀前半に自分の出身である美濃国岩村藩の藩政改革に関与しており、その際『百姓身持之覚書』を『慶安の触書』として木版印刷を使って領内に流布させました。この『慶安の触書』は、林述斎に縁のあった東日本の幕領の領主が採用して広く流布することになりました。そして、明治になり幕府法令として『徳川禁令考』に収録され、全国に流布したということのようです。
以上のような経緯から、これは地域的な触書で、幕府による農民支配の一般的な事例ではないとして、現在では高等学校の日本史教科書をはじめ、中学校の教科書でも掲載されない傾向にあります。
参考文献:山本英二『慶安の触書は出されたか』(日本史リブレット38)山川出版社 2002年
「大阪」は、もともと近世までは、「大坂」と表記されていましたが、「坂」の文字は「土に返る」という意味にも取れ、縁起が悪いという理由から、明治5年に「大阪」と書かれるようになったといわれています。弊社の「阪」と「坂」の使い分けは、中学校の教科書・教材では時代を通して「阪」を使い、高等学校の教科書・教材では近世までは「坂」を使用することで統一しています。
このような使い分けがされるようになったのは、中学生にとって「阪」と「坂」の漢字の変化を理解することは難しく、混乱をきたすおそれがあることが理由です。そのため、学習する過程で理解をはばむことがないよう表記を統一しています。また、「函館」も同様に、中学校では統一して「函館」、高等学校では近世までを「箱館」その後は「函館」と使い分けています。このような表記の方針は、学習上の配慮としてご理解いただきたく存じます。
戦後の歴史観の中心であった「唯物史観」では、「産業革命」を経て近代社会に移行すると考えられており、「それでは日本の産業革命の萌芽はいつからか」ということが長く議論されてきました。その中で日本の工場制手工業がイギリスの「マニュファクチュア」にあたると考えられ、これにより日本がいち早く産業革命に成功したという考え方が有力でした。そのため、「工場制手工業(マニュファクチュア)」という表記を使用してきました。しかし、近年は「唯物史観」からの脱却が進められてきており、日本とイギリスを結びつけて考える必要性も薄れてきたことから、この用語が使われなくなりました。また、教科書では、イギリスの工場制手工業(マニュファクチュア)にはあまり触れる機会がないため、日本の工場制手工業の説明の際に、あえてその用語を使用する必要もないと考えております。高等学校の日本史・世界史教科書においても、イギリスの場合に限り「工場制手工業(マニュファクチュア)」とし、それ以外の工場制手工業は単に「工場制手工業」と表記することが一般的になっています。
弊社では、「共和政」「専制君主政」など、政体のあり方を示す用語は、すべて「政」の字を使用することで統一しています。一般の国語辞典などでは「立憲君主制」と表記されていることもありますが、歴史の学術書や教科書で「専制君主政」「専制君主制」などと併用されています。「政」「制」のどちらも意味は同じですので、どちらの表記を使用するかは、各研究者、また各教科書会社が独自に判断しているのが実状です。以前は弊社でも、古代においては「共和政」、近代においては「共和制」を用い、時代による使い分けを行っていました。しかし、生徒の皆様が混乱してしまい、学習に混乱をきたすおそれがあることから、「政」の字に統一しました。近年、教科書では各社とも「政」を使用してきているようです。
弊社の教科書が「絶対王政」の用語を使用していない理由は、歴史学界の通説の変化に基づくためです。近年の研究成果により、この時代は「絶対王政」という言葉が示すほどには現実の王権が「絶対的」でなかったことが分かってきました。また、実際には伝統的な自治権を保証された地域や団体が多数存続していたことも明らかになってきています。さらには、この時代の研究視点にも変化があり、世界史全体からみてこの時代を近代的な国家の出発点ととらえることが強調されるようになってきました。そのため、王を主権者とする「主権国家」が発生した時代という評価に変わってきています。こうしたことから、近年「絶対王政」という用語も使用されなくなってきています。
なお、高等学校の世界史教科書では、「絶対王政」の用語の表記はほとんどなくなっています。
「産業革命」という概念は、19世紀末に登場してきました。その概念は、機械と動力を用いる工場制度の導入により、雇用関係が激変し、その結果として民衆の生活水準が低下し、多くの社会問題が発生したというものでした。この劇的な変化を指して「革命」という言葉が使われました。しかし、1920年代にはこの概念に疑問を持つ声が世界各地の学界ではあがっており、議論が続いていたようです。一方で、日本の歴史学界は、マルクスの唱えた歴史の発展段階を考える「唯物史観」とともに「産業革命」の概念を支持してきました。冷戦が終わり、「唯物史観」の見直しが進むようになってからは、日本の学者の中からも改めてイギリスの「産業革命」の概念を、日本の歴史に当てはめることについて考え直す声が高まってきています。そのため「工業化」という用語のみで工業社会への変化を説明しようとする動きもあり、歴史の学術書では「産業革命」という表記に変わり、「工業化」という表記を使うことも増えてきています。
こうした背景を受け、弊社では著者とも検討をした結果、「産業革命」という用語自体は使い続けるものの極力少なくし、「工業化」という工業比重の上昇の説明で済むところについては「工業化」と表記することにしています。
文部科学省の国語審議会が発表した「外来語の表記」においては"Lincoln"は「リンカーン」と表記することが定められています。これを踏まえて多くは「リンカーン」と書き表します。ただし、この「外来語の表記」は、その他の書き方を否定するものではなく、必ずこれに従うべきものではない、との細則があります。
弊社では、グローバル化が急速に進展している現状を踏まえ、できる限り現地の読み方に近い表現で外来語を書き表しています。"Lincoln"は発音記号では"lˈɪŋkən"と表されることから、弊社では「リンカン」を日本語読みとして使用しています。
なお、現在発刊されている高等学校の世界史教科書でも、弊社を含めほぼ「リンカン」で表記統一されており、また中学校の歴史教科書においても、弊社だけでなく他社でも「リンカン」と記載している出版社があります。
ローズヴェルト(Roosevelt)の先祖は、17世紀にアメリカ合衆国に移住したオランダ系移民であったといわれます。"roo"という英語の綴りは、room(ルーム、部屋)、roof(ルーフ、屋根)のように「ルー」と発音されることが多いようですが、オランダ語ではこの綴りは「ロー」と発音されます。
弊社では、原則として人名・地名は現地語表記を使用していますが、アメリカ合衆国のような移民社会で、人名を現地語の英語風に表記するか、故国の言語風に表記するのかは難しい問題です。
近年、世界史の研究書や辞典類では、「ローズヴェルト」と表記するものが多く、今後こちらの表記が主流になるものと判断して、弊社もこちらの表記を採用しています。ただし、義務教育においては、「ヴ」の表記は基本的に使用いたしませんので、「ローズベルト」と表記しています。
なお、高等学校の世界史教科書では、ほとんどが「ローズヴェルト」と表記されています。
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「ICT」は「Information and Communication Technology」の略語であり、「情報通信技術」などと訳されます。これに対し「IT」は「Information Technology」の略語であり、「情報技術」などと訳されます。どちらもインターネットなどの通信に関する語ですが、「IT」は情報端末や情報インフラなどの設備的な側面を、「ICT」は情報端末などを活用したコミュニケーションの側面を強調する傾向があります。
1990年代後半から2000年代前半ごろにかけて、日本では「IT」が多く用いられました。また今日でも、経済産業省などにおいては、情報端末の整備などの意味合いから「IT」が多く用いられています。しかし、国際的には「ICT」の方が一般的であり、また近年は学習指導要領においても「ICT」が用いられていることなどから、弊社の教科書におきましては「ICT」を優先して用いるようにしています。
文部科学省の国語審議会が発表した「外来語の表記」においては"Lincoln"は「リンカーン」と表記することが定められています。これを踏まえて多くは「リンカーン」と書き表します。ただし、この「外来語の表記」は、その他の書き方を否定するものではなく、必ずこれに従うべきものではない、との細則があります。
弊社では、グローバル化が急速に進展している現状を踏まえ、できる限り現地の読み方に近い表現で外来語を書き表しています。"Lincoln"は発音記号では "lˈɪŋkən" と表されることから,弊社では「リンカン」を日本語読みとして使用しています。
なお、現在発刊されている高等学校の世界史教科書では、弊社を含めほぼ「リンカン」で表記統一されており、また中学校の歴史的分野や公民的分野、高等学校の公共の教科書においても、弊社だけでなく他社でも「リンカン」と記載している出版社があります。
ドイツの都市である「Weimar」について、日本では「ヴァイマール」「ワイマール」などさまざまな表記が用いられています。弊社の出版物では現地語(この場合はドイツ語)の発音に近い表記を原則としており、その原則に従うと「ヴァイマール」という表記になります。
しかしながら、憲法学の研究書などでは、英語の発音に近い「ワイマール憲法」という表記が慣例として広く用いられており、入試で出題される場合もあります。また中学校段階の教科書では、「ヴ」などの「ウ濁音」は原則として用いておりません。こうした状況を踏まえまして、中学校段階の教科書では「ワイマール憲法」と単独で表記するとともに、高校の教科書では「ワイマール(ヴァイマール)憲法」と併記しています。
1989年に国連総会で採択された「Convention on the Rights of the Child」について、日本の外務省は「児童の権利条約」または「児童の権利に関する条約」と訳しています。これを基に弊社の教科書も「児童の権利に関する条約」という表記を用いています。その際、「児童」には小学生に限定する意味合いもあることから、広く子ども全体を対象にしていることを理解しやすいよう、「子ども」を併記しています。
1972年に公布された「勤労婦人福祉法」が法律名を含めて全面改正され、1986年に「男女雇用機会均等法」として改正施行されました。なお、法律の内容が全面的に変更されていることから、1986年に新たに施行されたと位置づけている場合もあります。
日本国憲法28条では、「団体行動をする権利」が保障されています。この「団体行動」には、争議(ストライキ・サボタージュなど)や日常的な組合活動などが含まれますが、典型的な団体行動が争議であることから、「争議権」を併記し、理解しやすくしています。
日本国憲法26条2項は、「すべて国民は、(中略)その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」と定めています。これについて「教育を受けさせる義務」という表記を用いると、専門教育や生涯教育など含む広く教育全般を受けさせる義務があると誤解を招くことから、「普通教育を受けさせる義務」という、日本国憲法の条文に基づく表記にしています。
政党助成制度は、国が政党に対し政党交付金による助成を行うことにより、政党の政治活動の健全な発達の促進および公正の確保を図り、もって民主政治の健全な発展に寄与することを目的とした制度です。
その根拠法が「政党助成法」であることから、一部の報道機関などでは「政党助成金」という表記が用いられる場合もあります。しかしながら、同法において「政党交付金による助成行う」と明記されていることから、より正確に「政党交付金」と表記しています。
日本の政治制度がイギリスとアメリカのどちらに近いかついては、議院内閣制の面と、権力分立の面のどちらから考えるかによって、見方が変わります。
まず、議院内閣制という制度の面では、イギリスに近いと考えることができます。こちらの考え方を記述している教科書も多くあります。
他方で、三権(立法権・行政権・司法権)の権力の対等さと、厳格な分立体制の面からは、アメリカに近いと考えられます。弊社の公共・現代社会の教科書では、後者の考えに基づいて構成しています。特に、イギリスの司法権については、以下のような特徴があります。
① 2009年にイギリスに最高裁判所ができるまでは、イギリスの司法権は貴族院(上院)に付属するもので、伝統的に権力分立(特に司法権)については軽視される傾向があった。
② ①で示したように2009年に最高裁判所はできたが、イギリスには明文化された憲法典が存在しないため、違憲審査権を持たず、また立法権、行政権に対して抑制効果を持っていない。そのため、チェック&バランスの機能が取りにくい。
このように、イギリスでは権力分立のチェック&バランスが十分でないため、三権分立の観点から、日本の政治体制はアメリカに近いといえます。
ただし、①で示した最高裁判所の設置は、イギリスの国民が伝統よりも権力分立の厳格化を求めた結果であるといわれています。また、2011年に制定された議員任期固定法が22年に廃止され、首相の判断で下院(庶民院)を解散できるようになりました。このように、イギリスの政治制度や取り巻く環境も、近年変化しつつあります。
弊社の出版物に掲載している刑事裁判の法廷の写真では、裁判長・裁判官から見て右側が弁護人、左側が検察官です。しかし、刑事裁判の法廷において、弁護人と検察官の位置は、裁判長・裁判官から見てどちらか一方に決まっているわけではありません。
民事裁判も同様で、原告側と被告側の位置にも決まりはありません。各裁判所の建物の構造によって、それぞれの位置は異なります。
日本国憲法81条では、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と定められています。このように憲法に適合するかしないかを決定する対象は法律に限らないことから、「違憲審査」という表記を用いております。
かつては、世間一般の感情である「世論(せろん・せいろん)」と、人々の議論に基づく意見である「輿論(よろん)」とが使い分けられていました。その後、1946年の当用漢字の制定によって「世論」の表記が一般的になったものの、「せろん」「よろん」両方の読み方が残りました。こうした経緯を踏まえ、「世論」には「せろん」「よろん」のふりがなを併記しています。
「オンブズマン」は、スウェーデン語で「代理人」を意味する「ombudsman」に由来します。この語はスウェーデン語において「共性名詞(両性名詞)」と位置づけられており、男性・女性の双方を含みます。しかし近年、英語において「man」という語を両性を含む「person」と言い換える流れを受けて、「オンブズパーソン」という表記も用いられるようになってきています。弊社におきましては、スウェーデン語の「オンブズマン」が男性と女性双方を表す語であることから、こちらの表記を優先して用いています。
「依存」には、一般的に「いそん」「いぞん」という二つの読み方が使われます。表記の参考となるNHKでは、2014年以降、「いそん」よりも「いぞん」の表記を優先するよう変更しています。しかし、現在も多くの国語辞典が漢語の読み方である「いそん」を優先していることから、弊社におきましては引き続き「いそん」の表記を用いています。
1968年に制定された消費者保護基本法において、政府の消費者行政の中心は、消費者に比べ強い立場にある企業の活動を規制し、消費者への情報提供や苦情処理などを行うことでした。
しかし1990年代に入り、政府の規制緩和や自由化の流れのなかで、規制によって問題の発生を未然に防ぐ「事前規制型社会」から、ルールに違反した対象を事後的に処罰する「事後規制型社会」への転換が図られました。また情報化の進展などによって次々と新たな消費者被害が発生するようになり、あらかじめ法的規制を設けることが難しくもなってきました。
そこで、2004年、消費者保護基本法は制定以降初めて改正されました。従来規定のなかった「消費者の権利」を明確に打ち出すとともに、消費者自身にも積極的に知識や情報を得ることが求められるようになりました。法律名の「保護」の文字がなくなったことからも、同法が自立した消費者の育成を目指していることが分かります。このため、近年では、消費者行政について、消費者の自立支援という側面から記述することが増えています。
2006年の商法改正以前の会社組織は、商法が規定する「株式会社」「合名会社」「合資会社」と、有限会社法が規定する「有限会社」の4種類でした。このうち有限会社は、設立時の最低資本金が株式会社よりも低額であり(株式会社は1000万円、有限会社は300万円)、比較的小規模な経営に適した企業形態でした。
しかし03年以降、この「最低資本金」を引き下げる特例制度が実施され、株式会社・有限会社とも「1円」となり、あえて有限会社を設立するメリットは少なくなりました。そして06年には、グローバル化など近年の経済情勢に対応するために商法が大幅改正されました。これにより有限会社は、商号に「有限会社」の文字を残す特例有限会社として存続することは可能ですが、新設することはできなくなりました。
この改正に伴い、新たに「合同会社」という企業形態が新設されました。これは株式会社や有限会社と同じく有限責任の社員から成るものの、取締役や株主総会(社員総会)の設置義務がなく、利益配分の方法も社員の総意で自由に決められるなど、経営の自由度が大きいのが特色です。起業にあたり合同会社の形態を選ぶ会社も増えています。
国の歳入について示す資料において、国債発行に基づく歳入は「公債金」と表記されるのが一般的です。この場合の「公債金」は国債に該当するため、「国債金」と表記しても実質的には誤りではありません。しかし、財政法4条1項において、公共事業などの財源のために「公債を発行しまたは借入金をなすことができる」と定められていることから、歳入に関する統計上は「公債金」と表記されています。歳入に関する図で「公債金」と表記しているのはこのためです。
その一方で、「歳出」に関しては、財政法上特に規定がないため、国債を償還するための費用という意味で、「国債(国債費)」という表記が慣例的に用いられています。
地方公共団体の課税のあり方を定める地方税法では、1条1項4号において、地方税を「道府県税又は市町村税をいう」と定義しています。そのうえで、都や区につきましては、1条2項において、「道府県に関する規定は都に、市町村に関する規定は特別区に準用する」とし、他の道府県と扱いを分けています。実際の運用面では、一部の例外はあるものの、多くの場合「道府県」や「市町村」をそのまま「都」や「区」に読み替えることができます。そのため、地方税法の用語を踏まえつつ、実態としてほぼ同様の課税を行っていることから、「都」や「区」を併記しています。
「公定歩合」とは中央銀行から市中銀行への貸出金利のことを指し、かつて日本銀行(日銀)は、公定歩合の上げ下げによる金融政策である「公定歩合操作」によって景気調整を行っていました。しかし近年、日銀の金融政策においては公開市場操作が主な手段となっており、この際の誘導目標である短期金融市場の「無担保コール翌日物金利(オーバーナイト物)」が、金融政策の目標である「政策金利」と見なされています。
日銀が市中銀行に貸し出しをする際の金利である「公定歩合」は、あくまでも短期金融市場の上限目安にすぎないため、「政策金利」と呼ぶことは適切とはいえません。こういった実情に合わせて、「公定歩合」の名称も2006年8月に「基準割引率および基準貸付利率」へと変更されました。
なお、日本以外の中央銀行では、現在でも公定歩合操作を金融政策の主な手段としているところも多くあります。
預金保険制度(ペイオフ)は、金融機関が預金保険料を預金保険機構に支払い、金融機関が破綻した場合には、預金保険機構が一定額の保険金を支払うことにより預金者を保護する制度です。保護の対象は、預金者1人につき、1銀行あたり一般預金1000万円までと、その利子です。
例えば、A行に900万円、B行に900万円を預けている場合、「1銀行で一般預金1000万円までとその利子」なので、保護の対象は、両行に預けたそれぞれ900万円とその利子です(1800万円とそれぞれの利息)。
一国の経済活動の規模を示す指標としては、長年「国民総生産(GNP)」が用いられてきました。特に高度経済成長期においては、日本のGNPの世界での位置づけが大きなニュースになるなど、高度経済成長のシンボルともいえる存在でした。
しかしグローバル化が進むなか、日本人や日本企業が海外に進出し、外国人や外国企業が日本で経済活動を行うようになったため、ある「国民」の生産活動を基準としたGNPでは、一国の経済活動を正確にはとらえにくくなってきました。そのため2001年以降、内閣府の主要統計の一つである国民経済計算においても、日本の「国内」での生産活動を基準とした「国内総生産(GDP)」が用いられるようになっています。
また一方で、「国民総所得(GNI)」も新たに統計として用いられるようになっています。これは1993年に国連が「国民経済の体系(93SNA)」を定め、GNPからGNIへと統計の基準を変更したことによります。GNPとGNIは経済活動を生産面、所得面からとらえたもので、数値は原則一致します。この変更は、「どれだけ生産したか」という観点よりも、「どれだけ所得を得たか」という観点のほうが個人の経済的な豊かさをとらえやすい、とされたことが一因です。GNIは世界銀行など国際機関の統計で多く用いられています。なお、GDPとGNIの差となる「海外からの純所得」のほとんどは、国際収支の「第一次所得収支」(従来の「所得収支」)に該当します。
IMF国際収支マニュアルが第5版から第6版に変更されたことに伴い、2014年1月に国際収支統計の公表形式が新しくなりました。
変更の主な背景としては、1990年代の通貨危機の経験から、対外資産・負債の残高の重要性が高まったことが挙げられます。また、経済のグローバル化や金融取引の高度化などを受け、GDP統計などのほかの経済統計との連動性が一層求められるようになったことも大きな要因です。
国際収支統計の主な変更の一つに、項目名の変更があります。これまでの「所得収支」、「経常移転収支」が、「第一次所得収支」、「第二次所得収支」に名称変更されました。また、「資本収支」は、「その他資本収支」を除外する一方で「外貨準備増減」を統合して、「金融収支」となりました。
また、これまでの「資本収支」の求め方にも大きな変更がありました。これまでの「資本収支」は、資金の「出入り」に着目し、資金が入ってくる資産取引から出ていく資産取引を差し引いた資金の「流入超」を「資本収支」の定義としていました。そのため、対外純資産の減少を「プラス」、対外純資産の増加を「マイナス」と表記していましたが、対外純資産残高のストックの増減から見ると、直感に反した符号(「プラス」と「マイナス」)になっていました。
新しい「金融収支」は、前述の対外資産・負債の残高を重視する考えを踏まえて、符号の付け方の違和感を解消することになります。対外純資産の増減と整合するために、これまでとは反対に、資産の増加・負債の減少から資産の減少・負債の増加を差し引くことで、資産取引の収支を定義するようになりました。これまでの「資金の流出入」ではなく、「対外純資産の増減」という観点から、プラス・マイナスの符号が決まるようになりました。
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