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「鎖国」にはなぜ「  」をつけているのですか。

 江戸時代の外交・貿易政策の特徴を示す言葉として、「鎖国」という言葉が使われてきました。そもそも「鎖国」という言葉は、江戸初期から存在した言葉ではなく、江戸後期の蘭学者の志筑忠雄が、オランダ商館医として日本に滞在したケンペルの著書『THE HISTORY OF JAPAN(日本誌)』オランダ語版の付録第6章を翻訳する際に「鎖国」という造語を1801年に作ったのがはじまりです。そのため、3代将軍家光のときに、キリスト教禁制政策の一環としていわゆる「鎖国令」が出されますが、「鎖国」という言葉が当時から使われていなかったことには注意しなければいけません。19世紀ごろから、ロシアやアメリカなどがさかんに通商を迫るようになって来た際に、「鎖国」が伝統的な外交政策であると幕府が断る理由として使用するようになってきたといわれます。このような状況から、「鎖国」という言葉が、外交・貿易統制当初から使われた言葉ではないため、「 」を付けています。

 また、「鎖国」という言葉がもつ、「国を鎖す」という受動的・否定的なイメージと、江戸時代の外交・貿易の実態とは違うという点からも、「 」を付けています。とくに1980年ごろから、幕府の外交・貿易統制を東アジアの伝統的な対外政策である「海禁」として積極的にとらえる考えがでてきました。つまり、幕府の外交・貿易は、長崎を基軸にしながら、松前・対馬・薩摩のそれぞれの藩に対外関係の口を担わせ(いわゆる「四つの口」)て、外交・貿易統制を行っていたという考えです。これは、幕府が東アジアにおけるキリスト教禁制や欧米の勢力争い、中国の明から清への交替などの状況を踏まえた対外政策としての貿易統制を行ったというとらえ方をしているのが特徴です。幕府自身も、17世紀末ごろから「海禁」の言葉を使用しています。しかしながら、この言葉も江戸初期から使われた言葉ではありません。

 このように江戸幕府の外交・貿易統制を「鎖国」のみで説明するのは、断片的であるといえます。しかし、教科書で長く使われた用語であり、江戸幕府の貿易の実態とともに使用すれば、江戸幕府の対外政策の独自性を象徴的に示せる言葉でもあります。このため、「  」を付けた「鎖国」と表現して掲載しています。