- 高等学校 公共
<授業研究 公民> 「どう選ぶか」から「どう在りたいか」へ -「幸福・正義・公正」を思考の道具とする「公共」A(2)の単元構想-
2026年度 後期号
◆授業研究 公民
「どう選ぶか」から「どう在りたいか」へ
ー「幸福・正義・公正」を思考の道具とする「公共」A(2)の単元構想ー

前橋市立前橋高等学校 安田 直剛
1, はじめに
私たちは何のために「公共」を教えるのだろうか。この根本的な問いから始めたい。「公共」が育てようとしているのは、生徒が主権者として社会に関わり、自分たちの社会をよりよくしていくための資質・能力である。生徒たちは、程なく有権者となり、契約を結び、働き、人生の場面ごとに「どちらが正しいのか」「自分はどうするのか」という選択・判断を迫られる。そのとき支えになるのは、特定の事項を覚えていることではない。初めて出会う問題を前にしても「どう考えればよいか」を自分の中で立ち上げられる力。それを育てることこそ、この科目の核心だと私は考えている。
そして、数ある学習内容の中でも、選択・判断の土台となる「考え方」を養うのが、大項目「A 公共の扉」の「(2)公共的な空間における人間としての在り方生き方」である。ここで身に付けた考え方は、それ自体で完結せず、この先の法・政治・経済(大項目B)や探究(大項目C)で生徒が握り続ける「判断の道具」となる。だからこそ私は、A(2)を最も力を注ぐべき要所だと捉えてきた。同時にA(2)は、考え方を理解させて終わらせず、生徒一人一人の「自分はどう在りたいか」へ折り返さねばならない点で、最も難しい単元でもある。
本稿では、こうして構想したA(2)の単元と、生命倫理(臓器提供)のパフォーマンス課題、評価の設計を、『ライブ!公共 2026』(以下、資料集)の活用例と共に紹介したい。
2, 「自分も他者も納得できる選択・判断」
単元を構想するとき、私がまず問うのは「授業のあと、生徒に何が残るか」である。残したいのは個別の知識ではなく、別の場面にも持ち運べる概念的な知識である。A(2)で言えば、「結果を重視する考え方」と「動機となる義務を重視する考え方」という、特定の事例を超えてどのような問題にも当てて考えられる二つの枠組みを、生徒が手にすることである。そこで設計の核に据えたのが、具体から抽象への帰納である。考え方を定義として先に教え込むのではなく、一つの場面に没入させ、複数の事例で同じ構造を確認させた上で、共通する「考え方」を生徒自身に取り出させる。取り出した考え方は、次の事例へ、やがて未知の課題へと転移させて使わせる。この往復(具体から抽象を取り出し、その抽象をまた具体に当てて試し、鍛え直す)を繰り返すことが、暗記された言葉ではなく概念的な知識を、生きて使えるものにすると考えている。その過程で、幸福・正義・公正という公民科の見方・考え方を、生徒自身が働かせるようにする。
この方針の下、単元を貫く問いを「自分も他者も納得できる選択・判断とは、どのような考え方に基づいたものだろうか」と立てた。学習前にこの問いへの仮の答えを書かせ、単元末に改めて答えさせる。そして全6次の各時に、この問いへ近づくための問いを段階的に配置した( 表1 )。
表1 単元の構想図 「公共」大項目A(2)/全6次
3, 考え方を取り出し、在り方へ折り返す
単元の入り口では、資料集p.25の章扉「公共的な空間における人間としてのあり方・生き方」を開かせた。「お金や利便性が“豊かさ”なの?」と問うこのコーナーは、「公共的な空間」という一見縁遠い言葉を、暮らしと地続きに感じさせ、A(2)に限らず各単元の導入に有効だ。ここで「自分にとって良い生き方、豊かさとは何か」と立ち止まった生徒が、身近な経験を引き合いに語り出す様子も見られた。何を大切にするかが人それぞれであるように、何を重んじて選ぶかも人それぞれである。では、その選択・判断を分けているものは何だろうか。単元は、この問いから動き出す( 図1 )。
図1 Question「お金や利便性が“豊かさ”なの?」
『ライブ!公共 2026』p.25
第1次では、概念をいきなり教えず、生徒自身に取り出させる。最初に示すのは「ある高校の部活動で、最後の大会に誰が出るかを巡って意見が割れた」場面である。チーム全体の勝利を優先し最も強い組み合わせで出すか、一度も出ていない3年生を出すかを考えさせる。続いて募金の使い道(被災地の多くの人々への支援か、校内で困っている一人への支援か)、感染症対策(経済活動を再開して事業者を守るか、外出制限を強化して重症化や死亡を防ぐか)と場面を重ねる。半径数mの部活動から社会全体へ、スケールを段階的に引き上げる意図である。
その上で、三つの場面を縦に並べ、各場面で対立した主張を「アの立場(全体・多数の利益)」「イの立場(個人や少数を守る)」の二列に書き分けた表に整理する。横に読めば各場面の対立が見えるだけだが、列ごとに縦にたどらせると様相が変わる。最も強い組み合わせ、多くの人々への支援、経済活動の再開。アの列に並んだこれらの主張は、場面は違っても、どれも全体としての結果に目を向けている。この共通項が生徒自身の言葉で「結果を重視する」考え方として浮かび上がり、一人一人への配慮などが並ぶイの列からも、同じ手順で「動機となる義務を重視する」考え方を取り出させる。これが第1次の到達点であり、最後にOPPシート*に、単元を貫く問いへの仮解答を書かせる。
第2次では、取り出した二つの考え方を、ベンサム・ミルの功利主義とカントの義務論に接続する。
第3次は、問いの立て方そのものを転換させる。本時の問いは「人として、自分はどのような「選択・判断」を重視する人で在りたいのか」である。余命を告げるべきか悩む医師として、友人の不正を前にした一個人として、安楽死の立法を問う国会議員として、身近な場面から立法的な判断にまで及ぶ三つの事例で、義務を貫けば義務どうしが対立し、時に悲惨な結果を招くという義務論の限界を体験させる。「どう選ぶか」を問うてきた単元が、ここで「どう在りたいか」へかじを切る。考え方の使い手である自分自身の在り方へ折り返すこと。これがA(2)の核心である。
4, 思考実験で揺さぶり、「公正」を問い直す
第3次で「自分はどう在りたいか」を問うと、多くの生徒は結果を重視する功利主義の側へと傾いた。「義務を貫くだけでは、目の前の人の気持ちに寄り添えない。他の人の幸せまで考えられる人で在りたい」という声が多く上がる。次はその功利主義そのものを揺さぶる。
第4次では、トロッコ問題とファットマン問題を用いる。同じ「5人を救うために1人を犠牲にする」状況でも、橋の上の大男(ファットマン)を突き落とすことには強い抵抗が生じる。この直感のずれを手がかりに、功利主義の限界である「全体の幸福のために、特定の個人を犠牲にしてよいのか」という問題を、生徒自身に言語化させる。
では、誰かを犠牲にしない判断は、どうすれば可能なのか。その手がかりとして示すのが、「無知のヴェールの世界」の問いである。所得の合計は大きいが格差の大きいA世界と、合計はやや小さいが格差の小さいB世界を示し、「自分がどの立場に生まれるか分からないなら、どちらを選ぶか」を問う。功利主義に従えば総量の大きいAのはずだが、多くの生徒は「生まれるならB」と答える。自分の信じる考え方と実際の選択が食い違う。この引っかかりから、ロールズの「公正としての正義」が立ち現れる。
第5次は、考え方を一つに収束させず、あえて広げて相対化する。ロールズの格差原理を確認し、センの潜在能力(ケイパビリティ)で「基本財の分配だけでは不十分だ」と補完した上で、揺さぶりはノージックに担わせる。「努力で得た高所得も、生まれや環境という運に支えられている。だから再分配は公正だ」という主張に対し、ノージックは「正当な対価を本人の意思に反して取り上げるのは、その人を手段として扱う自由の侵害だ」と切り返す。第2次で学んだカントの「互いの人格を目的として尊重せよ」が、ここでは再分配を批判する論拠になる。再分配は公正か、それとも自由の侵害か。どちらにも理と限界があることを、生徒は二つの主張を戦わせながら体感する。
5, 「オプトアウト方式」導入の是非
単元のまとめとして、評定に用いる思考・判断・表現を見取るパフォーマンス課題を設定した。題材は、臓器提供を巡る「オプトアウト方式」(生前に明確な拒否を示さない限り、脳死後の提供に同意したとみなす制度)の導入の是非である。
この題材を選んだのは、臓器移植が「命を救うこと」と「自分の体のことは自分で決める」ということが正面からぶつかる、生命倫理の代表的な課題であり、単元で鍛えた考え方を総動員できるからである。なおかつ、この「全体の利益か、個人の尊厳か」という対立は、第1次で生徒が最初に出会った構図と実は同じものである。単元の入り口で取り出した問いに、出口で、今度は鍛えた考え方を手にしてもう一度向き合うことになる。
課題に先立ち、資料集p.29「臓器移植法改正のポイント」( 図2 上)、「人口100万人当たりの臓器提供の件数」( 図2 下)を活用して臓器移植法改正の要点と、各国の臓器提供数の国際比較を押さえる。オプトアウト方式が論点となるのは、日本ではドナーが極端に少なく、制度の見直しが迫られているからである。この資料はその事実を印象ではなくデータから確認させる足場となった。
図2 (上)「臓器移植法改正のポイント」、(下)「人口100万人当たりの臓器提供(脳死・心停止後死後)の件数」
『ライブ!公共 2026』p.29
課題は、「数年後に有権者となる主権者として、法案へのパブリックコメント(意見書)を作成する」設定とした。問うのは臓器移植の是非ではなく、本人の同意がないまま国家が個人の体を公共の資源として扱うルールを認めるかである。論述には、①立場を明確にすること、②学んだ考え方を活用することの二つを条件として課した。
今回の題材について各考え方を使って捉えた例が 表2 である。
表2 各考え方からオプトアウト方式をどう捉えるか(例)
A評価とB評価を分けるのは、「考え方をいくつ使ったか」ではなく「思考の深さ」である。その基準は 表3 のとおりである。
表3 パフォーマンス課題の評価基準
多くの生徒は、学んだ考え方を使って、自分の立場と根拠を述べていた。例えば反対の立場から、「オプトアウト方式は、救える命を増やす一方で、拒否の意思を示せない子どもまでもが救命の手段として扱われてしまう可能性があり、それは義務論に反するため反対だ。」と論じた解答が挙げられる。これはB評価に当たる。A評価は、自分とは異なる相手の立場の正しさを認め、自説の限界まで引き受けた解答だ。反対の立場をとったある生徒は、次のように論じた。

功利主義を一度は認めながら義務論でその限界を示し、ロールズの無知のヴェールを母親と恋人の二つの場面で正反対に作用させて、なお反対を引き受ける。同じ思考の道具が賛成にも反対にも振れることを、自分の身で確かめた解答である。
賛成の立場からは、是非の判断にとどまらず、臓器提供の意思を、生年月日や血液型のように、誰もが登録する個人情報として扱う社会を構想する生徒もいた。「自分はどう判断するか」を問われた生徒が、社会のかたちそのものを描き出したと言える。本単元で問うてきた「どう在りたいか」は、「どのような社会を創りたいか」と表裏一体である。
6, パフォーマンス課題とOPPシート
賛A(2)で評価すべき思考・判断・表現には、二つの局面がある。学んだ考え方を活用して制度や課題を多面的・多角的に考察する局面と、それを自分自身の在り方生き方へ折り返す局面である。前者を担うのがパフォーマンス課題、後者を担うのが堀哲夫が提唱したOPPシートを活用した一枚ポートフォリオ評価である。
OPPシートでは、単元を貫く問いへの本解答と、「選択・判断をするとき、何を大切にする人で在りたいか」という問いへの記述が在り方生き方の考察・表現の場となる。
単元末の本解答で、ある生徒は「自分が不遇な立場に置かれていたらと、無知のヴェールを被り、考えられる人で在りたい」と書いた。学んだ考え方が、自分の在り方へと折り返された記述である。同様に、最初は功利主義に立ちながら学習を通して立場を見直したと書く生徒は多く、その着地は義務論、ロールズによる補完、ノージックの自由の尊重と、一人一人異なっていた。さらに、学びの意義や追究したい問いを書く項目が、主体的に学習に取り組む態度を映す。つまりOPPシートのまとめは、思考・判断・表現と主体的に学習に取り組む態度の二観点にまたがる。後者は、粘り強さと自己調整の両面から捉えた(国立教育政策研究所がまとめた『「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料(高等学校 公民)』による)。
ここで評価するのは、生徒の価値観そのものではない。特定の考えを持っているかではなく、学んだ概念で自分の考えを客観視し、組み立て直せたかという思考の過程と、学習を調整しようとする態度の変容である。
7, おわりに
生徒が手にした「選択・判断の手掛かりとなる考え方」は、ここで終わりではない。A(2)の真の成否は、その後の大項目B・Cの学習で生徒が自らそれを取り出して使えるかにかかっている。
はじめに掲げた「私たちは何のために「公共」を教えるのだろうか」という問いに、いま一度戻りたい。A(2)で手渡した「考え方」は、生徒がやがて主権者として社会の課題に向き合うとき、自分の頭で考え、自分も他者も納得できる判断を探すための道具になるはずである。そして「自分はどう在りたいか」という個人の問いは、やがて「私たちはどのような社会を創りたいか」という問いへとつながっていく。その深いつながりを実感できる「公共」の授業の在り方を、これからも追究し続けたい。本稿が、同じ志を持つ先生方との対話の一助となれば幸いである。
〈参考文献〉
・堀哲夫(2019)『新訂 一枚ポートフォリオ評価OPPA-一枚の用紙の可能性』東洋館出版社
・国立教育政策研究所教育課程研究センター(2021)『「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料(高等学校 公民)』
*OPPシート:One Page Portfolio シート。学習者が1枚の紙に学習前・中・後の履歴を記録し、その全体を学習者自身が自己評価する方法。





