• 中学校 歴史

<著者を訪ねて> 『社会科 中学生の歴史』監修者 黒田日出男先生

2026年度 前期号

◆著者を訪ねて

『社会科 中学生の歴史』監修者 黒田 日出男 先生

経歴:歴史学者。東京大学名誉教授。日本中世・近世史(絵画史料論、 歴史図像学)を専門とし、東京大学史料編纂所長、立正大学文学部教授、 群馬県立歴史博物館長などを歴任。著書は22冊余り。

帝国書院の教科書『社会科 中学生の歴史』の監修を務める黒田日出男先生に、教科書作りに対する思いから子ども時代のこと、これからの社会について、お話をうかがいました。

歴史教育は、子どもたちが歴史の
確からしさを実感し合う場です。

1. 子ども時代のエピソードや、ご専攻の歴史研究について

――どのようなお子さんでしたか。

東京で商店を営む家の次男として生まれました。幼少期の大きな出来事は、小学2年生の時に荒川に転落しましたが、辛うじて助かったことです。その体験によって、生かされた意味や自分なりの使命があるのではと考えるようになったのです。中学生になると、将来の仕事として弁護士か日本史家になろうと考えるようになりました。

――絵巻物などの絵画史料を対象とした研究を進めるきっかけとなったことを教えてください。

小学生の頃から絵が好きで、それが絵画史料論に挑戦する「下地」になりました。早稲田大学の院生時代には、当時の学界の主流は社会経済史でしたので、「中世の開発」について研究し、『日本中世開発史の研究』という最初の著書にまとまりました。

次のステップですが、従来の日本史学では、絵画を歴史の史料として読む史料学が未開拓状態でしたので、自分の適性と好みにあったテーマだなと考えるようになり、手探りで絵画史料論の模索を始めたのです。

41歳の時、最初の著書で第7回角川源義賞をいただき、その授賞式で「これからは絵画史料論に挑戦したい。賞金はそのために使う」と宣言しました。それ以来、今日までずっと一貫して絵画史料論と歴史図像学に取り組んできました。学問にとって一番大切なのは、研究を持続することだと私は思ってきたからです。どんなことでもそうですが、すぐに飽きては駄目ですね。

2. 中学校社会科の教科書作りについて

――教科書を作る上で、黒田先生の「思い」として大切にされてきたことは何でしょうか。

声を出して読むか、黙読するか、そのいずれでも本文がスムーズに読めることを重視しました。教科書の基本は、歴史の因果関係、歴史の論理をはっきりと読み取れる記述にすることです。生徒が一人で読んで歴史の論理が把握できる、「自習」できる教科書を目指しました。それと、帝国書院の教科書は、挿絵や図版が本文の記述ときちんと関連し合っていることも特徴の一つだと思います。

――教科書を通して、子どもたちに「育ってほしい」と思われていることは何でしょうか。

歴史を論理的に把握でき、かつ歴史を発見的に見ることのできる人間になってほしいと思っています。

――歴史の研究成果を教科書に反映させる上で、ご苦労されたことを教えてください。

一例として神護寺の「伝源頼朝像」の場合があります。美術史の米倉迪夫(よねくらみちお)さんが、「伝源頼朝像」は「足利直義像」、「伝平重盛像」は「足利尊氏像」、「伝藤原光能像」は「足利義詮像」であると指摘し、大反響がありました。しかし、永らく「伝源頼朝像」とされてきましたので、世の中の皆さんは、「やはり源頼朝像なのでは」と旧説に舞い戻ってしまいがちになります。確かな証拠のない通説にとらわれたままになってしまうので、それでは駄目です。

そこで私は、その堂々巡りを解決するには、源頼朝像として最も確かな肖像を特定することが必要だと考えました。すなわち、甲斐善光寺蔵の源頼朝像に着目し、その像が、源頼朝の死後まもなく制作された彫像であること、妻の北条政子の願によって造像されたことを指摘したのです。その武骨な顔は、神護寺の「伝源頼朝像」と全く似ていません。

こうして私は、源頼朝の顔や姿をよく示している甲斐善光寺の源頼朝像を、帝国書院の教科書に示したのです。

国宝神護寺三像についても、南北朝期の貴重史料である『夢中問答集』や『梅松論』などの記述を丹念に読み込みました。その結果、足利直義が自分と兄足利尊氏の肖像を〈対〉にして、神護寺に安置したこと、尊氏像は、尊氏と八幡大菩薩のダブルイメージであり、直義像は、直義と聖徳太子と弘法大師のトリプルイメージであるとする仮説を得ました。詳細は拙著『国宝神護寺三像とは何か』の第七章~第十章を御覧ください。

国宝神護寺三像についての米倉説とそれを裏付ける黒田説については、今後さまざまな検討や批判が出されるでしょう。学問的論争は大歓迎ですが、大筋は動くまいと思っています。

ともかく源頼朝の最も確かな肖像彫刻を、教科書に示すことができたのはとても嬉しいことでした。

――歴史研究と歴史教育の違いとして、特に大切だと思われていることは何でしょうか。

歴史研究は、確からしい仮説を生みだし合っていく研究者たちの「戦場」です。それに対し歴史教育は、子どもたちが歴史の確からしさを実感し合う場です。どのように実感し合えるか、納得できるかは、教師と生徒たちがどこまで「共振」できるかにかかっているでしょう。

3. 教科書を使って学ぶ子どもたちと先生方に向けて

――教科書を通して、子どもたちに具体的に身につけてほしいことは何でしょうか。

一つ目は、自分で調べる癖をつけること、二つ目は、疑問を感じたら、それらの疑問点は忘れないようにメモしておくことですね。インターネットの情報をそのままうのみにせず、自分で考え、調べることが必要です。疑問を持ち続けると、それが後になって、新しい史料や情報に出会い、解決できることがあります。とても興奮しますよ。

ですから私は、疑問に思ったことはメモして、袋に溜めておきます。研究をしていると、いろいろなところで疑問が生まれますが、それらを気にしていると、前に進めなくなってしまうことがあります。なので、すぐに解決できない疑問はしっかり袋に入れておきます。そうして別の研究に取り掛かっていると、疑問点を解くことのできる史料や情報がふいに目に飛び込んでくることがあります。きっと無意識で気にしているからなのでしょう。少年時代に抱いた疑問は、大人になってから解決できることがあるのです。疑問点は取っておいて、一つずつ解決していきましょう。

――授業を通して「歴史を見る目」を育てるのに必要なことは何でしょうか。

教科書の記述に「謎」(歴史記述の隙間・割れ目)を見つけること、そして「歴史を見る目」は多様であることに気付くことです。でも他方で、歴史の定説や通説はそれとしてしっかりと理解し、その上で「謎」に迫ってみることが必要だと思います。

私の場合は、絵画史料表現からのさまざまな「謎」を見つけて研究していますが、帝国書院の教科書のイラスト資料「タイムトラベル」についても、いろいろな「謎」を発見することができます。それらを繰り返し調べていくと、自然に「歴史を見る目」が育ってくるのではないでしょうか。

――デジタル教材やパソコンを使っての学習の進展についてのお考えをお聞かせください。

パソコンで得られる情報に限界があることは、皆さんもすぐに分かるはずです。結局、自分の疑問は自分で調べ、よく考えて解くしかないのです。

先日も、次の著作で検討する屛風に疑問点があって、インターネットでも繰り返し検索していたら、ある美術館の図録に行き着きました。しかし、そこからが肝心です。自分の読解力で勝負しなければなりません。つまり、インターネットではいろいろな気付きが得られますが、それらから自分なりの思考や調べを重ねていくことが大切なのです。インターネットに書かれていることの受け売りで終わるのではなく、さらに追究していく癖を身につけてください。

――これからの社会を担う人間として、ぜひ育てたいことは何でしょうか。

何であれ、自分のやりたいと思ったことを持続することが大切なのではないでしょうか。ただし、やみくもに続けるのではなく、時期を区切って目標を立て、それを一つずつ片付けていき、次の課題へとつなげていく姿勢が大切だと思います。

インタビューを終えて

黒田先生ご自身の探究心と歴史教育への情熱が印象的でした。読んで分かる教科書を編集することの大切さを改めて感じました。