〈写真・文 福島県立二本松工業高等学校 松浦 健人〉
   
ペルーとボリビア国境
  バスごと小舟に乗る   独立記念日のパレード
   
6000mを超える独立峰   ウユニ塩原
  サボテンの島
   
ウユニ塩原からアンデス山脈へ   温泉   アンデス山脈の峠

 正式名称,ボリビア多民族国。経済発展著しい南アメリカ大陸にあって,「世界最貧国の一つ」という不名誉なレッテルをはられたままの国である。2010年8月,この国で私を包んだ感動は,直前に訪れたマチュピチュや,その後に飛んだイースター島を凌駕し,今でも忘れられない。
 まず驚いたのが,チチカカ湖である。面積は琵琶湖の12倍。湖面の標高が富士山山頂よりも高く,「船が航行する世界最高所の湖」と称される。この湖畔の国境(写真①)でペルーからボリビアに入国し,バスで湖を見ながら走ること1時間,ついに幹線道路は湖で行き止まりになった。乗客は小舟に乗り換えて湖を渡るのは想定内だが,肝心のバスは? 対岸に別の大型バスの姿はない。 
 なんと,バスも小舟に乗ったのだ(写真②)。あっけにとられているのは旅行者のみで,現地の人々にはあたり前の光景らしい。ちょうどその日は独立記念日(8月6日)で,各地でパレードや催し物が行われていた(写真③)。
 その後,6000mを超える独立峰を見ながら(写真④)バスはひた走り,到着したのが行政上の首都ラパスだ。その約3600mという標高から,少し歩いただけで息切れする環境に恐れおののいた私は,ラパスの滞在は1時間で切り上げ,ボリビアでの一番の目的地・ウユニへの夜行バスに飛び乗った。写真は撮れなかったが,「銀河鉄道気分を味わえる」といわれる,ラパスのすり鉢状の街並みの夜景を上から見下ろしながら夜行バスに揺られた。「最貧国といわれながらも,こんな快適な夜行バスがあるとは,意外とインフラは整っているのか」と思うや否や,スペイン語での車内放送があった。
 「今日は独立記念日で,反政府ゲリラが幹線道路に置き石しているため,夜の幹線道路は走れない。よって,道路は走らず,道なき道を行く!」
 その刹那,およそ路線バスとは思えない衝撃が襲った。バスがルートを幹線道路から荒野に移したのだ。つねに上下左右に振動があり,まともに眠れるはずもない。砂漠にタイヤを取られバスが動かなくなったため,深夜に叩き起こされて乗客全員でバスを押すことが二度。まともな道路を走ることなく,夜行バスは16時間かけてウユニに着いた。
 疲労困憊なまま,現地に軒を連ねる旅行代理店に飛び込んだ。それは,「ウユニ塩原とアンデス山脈越えチリ抜け2泊3日ツアー」に参加するためである。いくつかの店を見て回り,料金交渉をしたあと,名もなき旅行代理店のツアーに決定した。ツアーメイトは6人。私以外は,偶然にもフランス人5人。ほとんど英語をしゃべらない彼らとの3日間で,私は否応なしに一般の日本人が生涯で耳にするであろうフランス語の1000倍は聞くこととなった。
 ウユニ塩原。標高約3700mにある,広さ約10600km2(ほぼ岐阜県と同じ)の塩の湖である。世界の半分のリチウムがここに埋蔵されているともいわれている。雨季には深さ数cmの湖となり,高低差がほとんどないことから,「天空の鏡」とも称される。『千と千尋の神隠し』の1シーンのモデルとなった場所でもあり,最近では,衣料メーカーや自動車メーカーのCMにも登場している。

 私たち6人の旅行者を乗せたツアー車は,ほどなくしてウユニ塩原に到着した。
 そこの美しさは,言葉で説明できる領域を超えていた。
 みなさんは想像できるだろうか。見渡す限りの白と青の世界。そして,音のない世界を。
 どこを撮っても同じ風景になる。それはわかっていても夢中でシャッターを切った(写真⑤)。また,白の世界では遠近感が狂う。フランス人は,ここでの名物の一つであるトリック写真に夢中になっていた。

 ウユニ塩原の真っ只中にある,サボテンの島(写真⑥)で昼食となった。ツアーの全食事は最初にツアー車に積んであり,基本的には保存の効く肉やパンといったものであり,サラダはその場で運転手が野菜を切ってつくっていた。
 塩原を横断し,ツアーはアンデスの山中に向かった。このツアーのもう一つの目玉である,アンデス山脈の原風景観光である。この日はほどなくして夕暮れとなり,私たちは塩でできたホテルに宿泊した。この地域は世界で最も雨が降らない地域の一つで,乾燥した強風が吹きすさぶ寒村に宿泊施設があった。
 翌日からは,乾燥地帯ゆえに自然の地形がそのまま残っている風景を飽きるほど味わった。
 火山とその溶岩流の流れた跡。砂漠の奇岩。緑の湖,赤の湖,青の湖。そして,富士山と同じ成層火山(写真⑦)。

 ツアー最終日は,朝5時起床で標高5000mをひた走り,温泉に到着した。−20℃の極寒のため,湯船から零れ落ちた熱湯は,すぐに凍っていた。脱衣所もない環境であったが,多くの欧米人が水着姿で入浴を楽しんでいた(写真⑧)。
 最初は寒さにたじろいでいた私だったが,ツアーメイトのフランス人男性に誘われ,一緒に着替えて入浴することとなった。極寒のなかの熱湯であり,水着に着替えてからもなかなか入浴できなかったが,意を決して湯船に飛び込むと,多くの欧米人が私に近寄り勇気を称えてくれ,ともに喜びをわかち合った。あたかもこれが,何かの通過儀礼であるかのように。

 こうして,アンデス山脈の峠(写真⑨)で3日間をともにしたツアーガイド兼料理人兼自動車修理工の運転手と別れ,ボリビアからチリに出国し,アタカマへと抜けた。
 神秘の湖・チチカカ湖で大型バスも小舟で渡る風景に度肝を抜かれ,ラパスの夜景に感動し,地獄の夜行バスで命をすり減らしながらも,朝日に照らされて視界が広がったときに今塩湖の上を走っていることを自覚し涙を流した。ウユニ塩原の光景は筆舌に尽くしがたく,アンデス山脈の原風景は常識をはるかに超えていた。
 「海外ではどこが一番よかったですか?」の質問には,迷わず,「ボリビア」と答えることにしている。